「光陰は矢の如し」と言われますが、全くその通りですね

 年月は、人の都合にかかわらず過ぎて行って、少しの間も止まらない。今の時を大切にして努力せよという戒めの言葉。
「盛年重ねて来たらず」、私自身の実感ですが、本当に若い盛りは一生のうち二度と来ないから、空しく過ごしてはならないですね。歳月は人を待たずの言葉の中には、楽しいこともしっかり楽しめと。
それにしましても、あっと言う間の一年間でした。「少年老い易く学なり難し」、
私はいま七十一歳の目前、気持ちは青年ですから、老いて、老い易くとも言えず、
少し複雑な心境です。確かなことは、JRの乗車券がのぞみの特急券を除いて三割引き、映画は千円の子供並料金。老いては子に返る、いや、愚に返るだったですか。
最近、老経営者の不祥事が多く表に出ていますが、私はなるべく権限を委譲して責任ある地位に付かず、老後を楽しみながら創造性に富んだ生涯でありたいと願います。

 五十歳くらいまでは年年歳歳年齢を重ねることに実感がありました。
昨今では十年で一歳年取っている感じで、実感は五十二歳くらいの気持ちです。
 周囲の人や知り合いが、気分的にも見た目にも、体力的にも老けて往かれるのが、とても悲しく感じます。
 やる気が無くなったとか、性的な欲望が減退したとか、衰えを感じるとか、理解も同情もできるのですが、置いて行かれたような孤独感が拭えません。
 私の心が若いのは何故かと考え込むことがあります。
 本当の心は三十歳前後の方々とお話している時が一番穏やかです。
 さりとて高齢者の方々を尊敬していますし、若い人や子供達とも楽しくやれます。違和感は全くありません。
 淡々として、欲望の炎がめらめらと燃え上がっては決しておりません。
 あれが欲しいとか、これが欲しいと言うような気持ちは皆無です。しかし、物事に対する好奇心は大です。
 新しい技術や発見などについては、強い好奇心が収まりません。
 最近では観音院のホームページにQRコードの導入とか、携帯電話に次に搭載されるであろう性能を予測して、どのように対応するか、日々一生懸命に考えていて、心は多忙です。
 宗教界は小さな範囲ですが、この中では最高の技術、最先端でありたいと何時も努力を怠りません。
 お寺の機能は、み仏さまが居られて、仏法が説かれて、精進する僧侶がいることが、最低の条件になります。
 仏法を説き広めるには、常に最先端の通信技術を持とうとするのは当然のことで、これは煩悩ではありません。
 仏法を説くには世間の皆さまに聞いて貰える耳を作らなくてはなりません。
 簡単に言えば、皆さんに興味を持ってもらう仕掛けを作らなくてはならないし、皆さんが知りたい情報を持っていなくてはなりません。
 昔は、楽だったのです。梵鐘を撞くだけで、半鐘を鳴らすだけで、音の届く範囲内の人たちが、何か有り難い教えか新しい他所の話が聞けるかと、人たちが集まってくれていました。
 今は、情報が氾濫していますから、内容が社会に適応しているか、道徳と言う水準に達しているか、様々な角度からの検討が必要になります。
 一方では、普通のお仕事をなさっている方々にとっても、目立つように、目立ち過ぎないないように、共鳴してくれる人が多いことは大切です。
 スーパーや百貨店へ行くと、飾りつけがガラリと変わり其々のブランドの工夫や栄枯盛衰を見ることができます。
東急ハンズやドンキホーテ、百円均一のショップ等を見ると、製造業の苦労を目の当たりにすることができます。
 食品街の閉店間近の安売りは大変ですね。意識的な安売りもあるようです。
 観音院も常にディスプレイとか奉仕など、いろいろと工夫を怠りません。
 世間様の努力や工夫に比較すると、決して安穏として一日も過ごせません。
 毎朝職員会議を開いていますし、提案や工夫、改善を日々心掛けています。
ホームページも毎日更新し、毎月雑誌を出版し、毎週テレホン法話を更新する、不断の努力が必要です。
 観音院版の両界曼荼羅、阿字観掛け軸、飛び観音さまのストラップやピンバッジと、いろいろなものを工夫し制作しております。伝統仏教の中で約束を壊さぬよう、かつ新しい技術革新をしながら、いろいろ努力しています。

物事に対する強い興味と関心
それを現実に寺の中に導入する

 古い建築物を大切にすることは大事です。観音院は第二次大戦で灰燼に帰しました。
再建するに当たり、仏教建築と、当時話題の新装開店の百貨店と比較し、本堂内部は伝統仏教の手法で、外観はシンプルに、筐体は単純に強度や厚さを倍にすること、ディスプレイを百貨店風にと考えました。
 本堂は、境内や道路からでも み仏さまが拝めるようにしました。
 冷暖房を全体的に完備しました。当然に停電時のために発電機を設置し、断水に備えて浅井戸と飲用に深い井戸を掘りました。
火事対策に船舶用のボンペットも各所に十分に設置しました。
職員全員に食品衛生責任者と防火管理者の資格を取らせて学ばせるのは、安全第一の考え方で、境内建物全体を統一している思想下にあるからです。
 安全で静謐である考え方はともすれば、新しいものを拒むことがありますが、観音院の秩序は、新しいものを入れて、困惑したり困惑させないように、循環が適切であるよう考えています。
 電算機端末はキーの位置は記憶しなければなりませんが、新人でも容易に操作できるよう画面を作っています。
 僧侶の養成も、世襲制を廃止すると同時に始めて、広く一般に門戸を開放していて、次の住職は衆望のある人が就任出来るようにしてあります。
 運営の主体である評議員は五十名の定員で、お世話をしたいと望まれる方のご要望に大体そえているようです。
 この月刊観自在の原稿は僧侶全員の校閲を経ていて、極端に過激な教説が立たないよう手続きを踏んでいます。
 宗教団体が陥り易い原理主義には、観音院は完全に縁がありません。
 キュービクルには確かに六千ボルトの高圧電力を引き込んでいますが、これは全体の電力を賄う上で止む得ない設備で代替手段がありません。
「安全」が私の正装です。それは単に物理的な危険を避けると言うだけのものでは無くて、法律や税制に触れないだけに止まらず、世間の感情的なものも含んでいます。
 誹謗中傷には傷つきませんが、誹謗も中傷も避けたいと願います。世間様を全く気にしない、そのような強固な信念をもっていません。
 信念よりは世評の最大公約数を気に掛けながら微調整して今日があります。
 信念は、時として間違いである事が少なくありません。思想も哲学も宗教も例外ではありません。
 自分のよって立つ自分自身の心にも歪みが無いか、謙虚な心が大切です。自分は絶対だと思うときに、心の働きが失われてしまうことを恐れます。
 私は未熟で、知らないことが沢山ある、それを知ることが好奇心の原動力であり、老いない心の源です。
 これから先、多くの人に教えてもらい、協力を得て生きて在りたいと願っています。聞く耳と、情報を選別する能力と、それらによって得たものを、再び皆さんに提供しながら存在したいと願っています。
教義を立てるには、先輩から伝承したものが沢山ありますが、現在の世の中と照合して、説けないものもあって、新しい説法を組み立てるのは、大変な仕事になります。
 私は、十善戒–、不殺生、不偸盗、
不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、
不慳貪、不瞋恚、不邪見を、
中心に置いて展開するように勤めています。
 慈雲尊者が「十善、是、菩薩の道場」と説かれているからです。
慈雲尊者は江戸後期の僧侶です。日本が世界に誇るべき偉大な佛教者です。尊者は真言の僧ですが、一宗一派に拘泥することを非とし、まず戒律を正しく行うことを僧俗問わず広く説いて、釈尊の対機の教えをその分に応じて忠実に行うことを奨められ、現に実行されました。
帰依し受戒する者が多く、他宗の僧侶も参集していたと伝えられます。顕密は勿論、儒教にも精通され、数ある著作の中で、最も親しみやすい[十善法語]との出会いが私の出発点になりました。
▼慈雲尊者 一七一八(享保三)年~
一八〇四(文化一)年、真言宗の僧。
 大阪に生まれ、俗姓上月氏。名は飲光(おんこう) 百不知童子、葛城山人と号す。慈雲尊者と尊称されましる。
 河内(大阪府)高貴寺中興者。顕密諸宗の学に広く通じていたが、特に戒律の復興に努め、(正法律=しょうぼうりつ)を唱え、また、在家者のために十善の法を説いた方です。
 観音院には慈雲尊者の「十善法語」は勿論、沢山の解釈書があります。
 私は十善戒を日々説いていて、色々な角度から現代の日常生活に当てはめて大切にしています。
 不殺生を簡潔に言えば「生かせ、いのちを」となりますが、地球温暖化防止も、工場から塵を出さないことも、無駄な電気を消すのも、全て不殺生のの考え方です。
 観音院の書庫には日本の宗教の本が沢山ありますが、一宗一派に拘泥することは避けています。現在約七千冊の蔵書があります。
 一冊二十万円三百冊で構成される、大正新脩大蔵経も御座います。
 私が読むために本は求めていません。観音院で勉強される人々のために求めたものです。
 書籍の管理は難しく、もう少しフォントが充実したら、OCRでテキスト化するのが夢です。
 CDになったものも多く、仏教界も少しずつ電算機に対応していて将来の光明が差しています。

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