- ご隠居
- 寅さんは、こんな短歌を知っているか。
- 寅さん
- 何という人の歌です?ご隠居 会津八一という早稲田大学の先生で、歌人で書家で美術史家でもあった。明治、大正、昭和にかけて、万葉的な歌を詠むことで知られたお人だ。
- 歌は説明するまでもなく平明で、ひっそりとやって来て、誰が打っているのだろうか、こんな夜更けに。ほとけさまも夢をご覧になっている時分だというのに……
- 寅さん
- なるほど。いい歌ですね。
- ご隠居
- その鐘についてだが、お釈迦様がご在世のころ、佛弟子の一人であった目連尊者(もくれんそんじゃ)が、四天王の寄進になる梵鐘(ぼんしょう)を撞(つ)いたところ、その鐘の声が「三千世界」に鳴り響いたという。
- ところが、それほど世界じゅうに響きわたった鐘の音でさえも、目連尊者がいた舎衛城(しゃえじょう)の中に住む九億人のうちのほんのひとにぎりの人々にしか、その鐘の声は聞こえなかったというのだな。
- 法華経にいわく、
「諸佛両足尊、法は常に無性(むしょう)なりと知らしめせども、佛種(ぶっしゅ)は縁(えん)より起こる。このゆえに一乗を説く」
とある。 - 寅さん
- 両足尊?
- ご隠居
- 諸佛両足尊(りょうそくそん)とは、福と智をそなえている佛(ほとけ)、無性とはこの場合、佛性(ぶっしょう)という意味のことで、ほとけさまはご自身のお気持ちを私たちに一心に伝えようとしていらっしゃるが、なかなかそのお心が伝わらない。
- その佛性というものは、一切衆生(いっさいしゅじょう)のことごとくが本来そなえているものなのだが、佛性の種子を育てるには、縁というものがなければならない。
- 縁が熟すればこれを説き、縁が熟さなければ、それをいくら説いたところでなんの効果も益もない。
- だから和光同塵(わこうどうじん)は結縁(けちえん)の始め、八相成道(はっそうじょうどう)は利物(りもつ)の終わりなり、などという。
- ――縁無き衆生――
- 寅さん
- それはどういう意味なんです?
- ご隠居
- 衆生を救うために、ほとけが本来の智慧の光を隠して、塵のような人間界に姿をかえて現れることを、和光同塵という。
- 八相成道とは、お釈迦様が一生に経てこられた八つの変化の姿のことで、生胎、嬰孩(えいがい・乳飲み子)、愛欲(欲望に心を奪われること)、楽苦行、降魔(ごうま・悪魔を降伏させる)、成道(じょうどう・悟りをひらく)、伝法輪(佛法を受けつたえる)、入滅(にゅうめつ)の八つだ。
- そして利物は、ほとけが衆生に利益(りやく)をさずける、つまり利生(りしょう)といった意味とでもいおうか。
- このように佛は、一切衆生皆是吾子(みなこれわがこ)という、平等にして大きな慈悲の心をお持ちだが、「縁無き衆生」だけは、どのようにしても「度する」ことがおできにならない。したがってお釈迦様の教化(きょうげ)を受けられる資格のある衆生には限りがある。だれでもかれでも、佛はすべての人々を救済するわけにはいかない。
- まして無性闡提(むしょうせんだい)のごときものには、たとえ一千の佛が衆生を救うためにこの世に現れようとも、その教化をすることは不可能である、といっている。
- 寅さん
- むしょうせんだい?
- ご隠居
- この場合の無性という意味は、佛となる素質がないもののことをいい、闡提とは、善因には良い結果があり、悪因には悪い結果があるというように、それぞれのおこないに応じて必ず報いがあるという因果応報を信じず、佛法を謗(そし)るやからのことだ。
- ご隠居
- むかし、お釈迦様がインドの舎衛城というところに居られたときのことだ。そこに九億の人が住んでいた。
- そのうち三億の人は、目に佛を見ることができたが、三億の人は耳には佛のお声を聞くことはできても、佛を見ることはできず、残りの三億の人は、佛の声を聞くことも見ることも、まったくできなかったと「大智度論」に書いてある。
- 寅さん
- なぜなんです?
- ご隠居
- 縁が無いからだ。佛の教えにそっぽを向くやからのことを無縁の衆生というな。
- ある日、お釈迦様が弟子の阿難尊者といっしょに、舎衛城内で托鉢(たくはつ)されていた。
- すると道のほとりに、一人の貧しげな年老いた女がいた。
- 阿難尊者がお釈迦様にいった。
「この人は身も心も、見るからに不仕合わせそうな女ですから、お釈迦様の手でお救いになってはいかがでございましょうか」 - お釈迦様が阿難に言われた。
「あの老女は、わたしの手で救う因縁(いんねん)が無い」
と。 - 阿難がいう。
「なぜでしょう?お釈迦様があの女のところへ行って、そのお姿をお見せになれば、老女はお釈迦様のお顔やお身体から発する光明(こうみょう)に打たれて、さだめし歓喜(かんぎ)の心をおこすことでありましょうに。彼女の身内から湧(わ)き出たその喜びが、すなわち因縁(いんねん)となるのではないでしょうか……」 - お釈迦様は阿難の言うとおり、老女のもとへ近づいて行かれた。すると、老女はお釈迦様にくるりと背をむけた。それならばと、お釈迦様が四辺から老女に近づくと、老女はお釈迦様を見るのを嫌い、顔を仰向けにして空を見上げる。それではとお釈迦様が上から近寄れば、老女は頭を下げてうつむく。お釈迦様はまた地面からお出になると、老女は両手で目をふさぎ、どうしてもお釈迦様を見ようとしないのだ。
- お釈迦様が阿難をかえりみて言われた。
「阿難よ。かくのごとき人は、救おうとしても、救う方法も因縁もまったくない。あのようにわたを視(み)ようとしないし、また視ることができないのも、そのためだ」。 - このような慈悲ぶかいほとけのちからをもってしても、ほとけの価値を認めず、また、知ろうとしない者には、まったく救済のしようがないということだ。
- その意味において、ほとけの存在は「水」にたとえることができるだろう。水はどこにでもあって、だれでも飲もうと思えばたやすく飲めるが、餓鬼は、いつものどがカラカラに渇いているのにそれを飲むことができない。
- 無縁の衆生の度しがたきことは大体かくのごとし、と大智度論ではいっている。
- 寅さん
- さいぜんから出てくる大智度論というのは、なんでしたっけ?
- ――五つの要素の我(われ)――
- ご隠居
- 大智度論というのは、西暦一五〇年ころ南インドに生まれた龍樹(りゅうじゅ)という人が大乗佛教の根本思想を明らかにした書だ。
- この「観自在」に法主の「鈴の法話」がずっと掲載されているがあのページは永いあいだ「如是我聞」というタイトルだったのを、寅さんは憶えていないかな。
- 大智度論では、経説ごとにつねに「かくのごとく、わたくしは聞きました」(如是我聞・にょぜがもん)という言葉から始まっている。
- そして、大智度論がなによりも私たち日本人に身近に感じられるのは、「平家物語」の初めの一節だろう。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす」
という文章は、たいていの人が知っている。で、このなかの、諸行無常……これが佛教の根本命題のひとつであらゆる存在はたえず生滅(しょうめつ)変化して、つねに同じ状態にとどまっていないことをいったものだ。
- そして、とくに人間が無常な存在であるということ、すなわち、われわれの身体を構成する五つの要素である肉体をはじめ感覚も表象(ひょうしょう)も意志も意識も、みなすべて、うつろい、変わらぬものはないことを、お釈迦様がお住みになったところと、亡くなられた所にちなんで述べたものなのだな。
- 寅さん
- 表象というのは?
- ご隠居
- ものごとに対する直観力、いわばカンのひらめきとか、あるいはまた、過去の印象の再生されたもの、という意味にとってよいだろう。
- 寅さん
- で、龍樹さんが言われた諸行無常はどうなりました?
- ご隠居
- 話が少しむつかしくなるが、この「無常」という意味がじつは問題で、無常の存在である私たち人間は、それゆえに苦であり、「無我」であると説かれている。無我といっても、いわゆる虚無というのではもちろんないし、無我夢中などという忘我のことでもない。 すべてのものは、もともと縁があって寄りあつまるべくして成り立っており、ものとものとが相互に関係しあって存在している。したがって、私たちの身体も、さっき言った五つの要素のかりの和合から成り立っているのだからその構成要素をバラバラに分解すれば、そこに「我」という実体は存在しないことになる。
- このことわりを心底さとって、生死(しょうじ)という苦楽を超越した絶対の境地に到達することを説いたのが、ほかならぬ佛教である、というのだな。
- さて、目連尊者はきょうも鐘を撞き、お釈迦様は尽十方界に光明を照らしておいでだが、信心のないものは鐘の音も聞こえず、光も見えない。まして無性闡提の衆生にいたっては、永遠につづく暗闇の世界から逃れるすべもない、ということだな。
ひそみきてたがうつかねぞ
さよふけて
ほとけもゆめにいりたまふころ
度しがたきある老女の話
花嫁が初夜、悪鬼に食われた話日本霊異記
聖武天皇のみ世、まがまがしい前兆をおもわせる俗謡が人々のあいだで歌われた。
お前を嫁にほしいとさ
だれだろうね
あむちのこむちのよろずの子
なむなむなむや
仙人が逆さになって息を吸い
おまじないしてね
山の知識が
あまにしあまにし
そのころ、大和の国十市郡(とおちぐん)菴知村(あむちむら)の東に裕福な家があった。姓を鏡作造(かがみつくりのみやつこ)といい、萬(よろず)の子という娘がいた。
娘は、評判の器量よしであったが、いまだに嫁がず、両親にあまやかされて我がまま一杯に暮らしていた。
その間、下級の貴族や、良い家柄の男など、ほうぼうから結婚の申込みが、降るほど娘のもとに寄せられたが、そのいずれも些細なことに難癖をつけて縁談を断りつづけていた。
あるとき、そのお高くとまっている萬の子に、ある者が結婚を申し込んだ。
そして、時をうつさず、急いで娘心をとろかすような素晴らしい結納の品々を彼女の家に運びいれたのである。それは美しい色に染めあげた絹の布が、三台の車に満載されていた。
すっかり絹に心を奪われてしまった娘は、もう夢見ごこちで、男の言うままに、何を言われようと首をたてに振ってうなずくばかりで、やがてふたり一緒に寝所に入っていった。そこまではよかったのだが……
さて、その夜のこと、娘の寝所で、「痛い、痛い」という声が三度ばかり聞こえてきた。
その声を耳にして、父母が顔を見合わせる。
「萬の子は生娘で、まだ経験がないから、きっと、その痛さでしょう」。
両親は、そのような話をかわし、べつだん心配もせず、眠りに就いたのであった。
そして翌朝、母親が起きてゆき、娘の寝所の戸をたたいて、目を覚ますように言ってやったが、いくら喚んでも中から返事がない。不審に思って戸を開けてみるとこれはいったい、どうだろう。娘が寝ていたはずの寝所には、頭と指だけを残して、その他は皆食われていたのである。
腰がぬけ、歯の根もあわず、おそれおののいていた両親が、やっと気を取り直して、結納にもらった絹布をよく見れば、それはいつのまにか獣の骨と化し、三台の車も汚らしい朽木に変わっていたのであった。
噂を聞きつけた近在の人々が、入れ代わりたちかわり、凶事の起こった屋敷を遠見にかこんで、ひそひそ話にいちだんと尾鰭がつく。
娘の頭は韓筥(からのはこ)に納めて、初七日の朝、佛前に安置して供養された。
今にして思えば、「お前を嫁に欲しい」云々という はやり歌は、災難の前ぶれであったのだろうか。
この凶事をある人は、神の不思議なしわざであると言い、ある人は、鬼が食ったのだという。しかし、これは、やはり前世(ぜんせ)に犯した報(むく)いではないだろうか。