物事に執着されることの無い法主さんが、物をとても大切にしておられて物事に執着しない性格とは矛盾するようですが、一切の物は信徒さんのものですから、微細なものでも決して粗末にできないと考えておられます。
ご自分の健康ですら信徒さんのものと考えておられるようで、こけたり落ちたりすることが起きないように事故にとても気をつけておられます。
普通に歩くと、ついて歩けない、もう少しゆっくり歩いて、と望まれます。
大きな法要ですと五日くらい前から身体の調子を整えておられます。法要後も三日くらい休養されます。
よく知られたことですが、夜は九時には横になられます。朝食は職員がお世話しますので、朝八時過ぎになります。昼食は十二時半前後、夕食は六時です。お好みや好き嫌いは申されないので分かりません。
体重は百グラム単位で気にしておられ、増加すると食事を即座に減量されます。夜は寝る前に気に掛かることは一切無し、簡単に単純に言えば何かの課題があれば、済むまでは入眠の兆しが訪れない、食事もする気にもなられない分かり易い性格です。
して頂くことは常勤監事が気をつけて管理しています。万一借金でもあれば返済が気になって休まれないと思います。寝る時には翌朝に目が覚めなくても良いように心がけておられます。
何か困難に直面している人がおられることを知られると、生命を賭してその解決に協力される癖があります。
最近はメールという便利な道具があります。これを乱用されると法主さんの生命に関わります。ですから、メールは監事で管理することにしました。
法主さんの「承知しました」という返事は命懸けの返事です。解決までは不眠不休、食事もされません。
世の中の人は時に不可能な要望をされます。僧侶としての最高の誠実さを超えたご要望は監事が整理します。
組織のトップとしての資格は欠いておられるようです。お任せすると観音院は一日で破綻すると思います。常識は通用しない無防備な方です。
物やお金があれば、困難な時代ですから、求められるままに与えて、無くなることに配慮が及びません。
物を大切にする前に、何も持たれる資格がありません。お坊さんには寺がありますが。寺が不必要と、何も必要とされないお考えですから、失ってならない物が一切無いのです。教えを広めることも、覚りを求めることも、何かをしようと計画することも、まるで「無」が人の形をしているとでも説明すると適切でしょうか。観音院は間違い無く法主さんを中心として回っています。中心の点は不動で大きさも広さもありません。法主さんは五十二歳で住職を引退以来、観音院の如何なる法律的地位にも就任されていません。本尊さまと同列に考えると間違いがありません。私どもの住む世間に引き下ろすと軋轢が生じます。罰が当たるように思います。粗末にしてはなりません。
法主さんが居られることで観音院は慈悲を標榜できます。法主さんとお会いできた人は幸せを感じられます。それ以上のことを望まれる人は理解力の無い人であり、大反れた人と思います。「縁」も切れるような気がします。
法主さんに何かお願いするには信心と言う資格が必要です。知識の広い方ですが、悪用してはなりません。
法主さんの住処は「十善戒」でありあるいは「般若心経」の世界です。
お弟子さんは「聖」なる存在です。法主さんがものを粗末にせず大切にされるのはご自分の持ち物では無く信徒さんから付託を受けたものだからです。
借金を絶対にされないのは、今日を生きることに全力を尽くされ、明日が在ることを考えておられぬからです。
法主さんとみ仏さまには厚い信頼関係があり、法主さんが依頼されたことは、み仏さまも格別に受諾されます。
同じことを何度も念押しされるのはみ仏さまに念押しするのと同じで、信心の無い失礼で疑い深い人です。
み仏さまを信じぬ人は、法主さまには何の縁もありません。
法主さんは人間社会の規範に誠実な方です。遵法精神が強く、人として不当なことはされません。人間関係の契約の概念については保身の意識が無いので馴染みません。お寺は法主さんとの契約については、役員会が、具体的には常勤監事が完全に把握し看護し、み仏さまにとって不当な契約が生じないよう立会しています。法主さんの日常、そのようなものは実際には全く存在しないと考えています。