光然の高野山修行日記 ・十一 後半

書道、梵習字、華道は作務衣で、茶道は白衣を日常に使うマジックテープ帯ではなく、少々手間のかかる角帯で留めて授業を受ける事になっていました。

授業の始まりは、能化(指導者、師のような意味)の先生が先ほどもお伝えした音が響く階段を上がって来るところから始まります。

音が聞えてくると、次弟に教室全体が静まり生徒全員が合掌して頭を下げ、先生が教卓に着き衣帯を整えられるのを待ちます。

「お願いします」と声をかけられたところで、日直が戒柝と呼ばれる拍子木を一打、全員が頭を上げ、戒柝を二打して改め一礼をします。

続いて一打、般若心経一巻と「南無大師遍照金剛」大師宝号七遍、「南無大明神」明神宝号七遍をお唱えします。

授業の内容は、お大師様の著作に関する解説や伝記、仏教、密教の沿革など真言僧になるための初歩的な知識が主なものとなっています。

悪い言い方をしてしまうと資料的な面では、書店に行けば知識を得る事が可能と言えるかもしれません。

しかしそこで教授してくださる能化の先生方は、深く事に通じた高僧様、また高野山大学で専門に教鞭をとっていらっしゃる教授陣と一流の顔ぶれとなっていました。

それだけにただ記されている文面をなぞり漢文を読み下すだけではなく、そこに秘められている密教的な解釈や、他の資料と関連性を持った解説を数多く受ける事が出来る貴重な場はそうは無いでしよう。

授業の内容は初めて学ぶ人間に向けたもので、分かり易い形にまとめられていましたが内容は深く、久しぶりに学ぶ楽しさと言うものを得る事が出来ました。

堅苦しい想像をされるかもしれませんが、授業の全体的な雰囲気は和やかなもので、眠りに落ちる生徒も出てくる事も多い始末でした。何とももったいない話ですね。

そんな空気にあるので、期末試験と言っても単位を落とすと卒業できないという緊迫感は薄く、能化の先生方もうっかり卒業できない生徒が出てしまわないよう、試験に出る所は重ねて伝えて下さいました。場合によっては試験の問題文を事前にほぼ全て読み上げ、僧侶として必要となる知識を否が応でも暗記するよう導かれる先生もいらっしゃいました。

そのおかげもあってか、赤点を取った生徒は「一学期終了後も数日間は帰宅出来ず特別な行を課せられる」とまことしやかに囁かれていた噂は証明される事無く、噂の真相は藪の中に。

何はともあれ、専修学院第七十三期生は誰一人赤点を取る事無く、無事に一学期を終える事が出来たところで、今回は終わりとさせて頂きます。