他山の石とせず、企業や家庭の危機管理、対策の徹底を考えること

JR福知山線の脱線転覆激突事故は悲惨です。事故に遭った人、その人の家族、
親族、関係者、皆さんがお気の毒です。お亡くなりになった人たちのご冥福を祈り
ます。同時に心配なことは、怪我で障害を負われた方、傷跡の残った方、その人
たちの今後の生活です。私は六十年前に見た原爆地獄を思い起こしました。小学
校の焼け跡に、散乱する白骨を集めてまわった体験を思い出しました。その中に
行方不明のまま消息が無かった五歳年下の弟も含まれていました。今でも弟が家
に帰って来た夢を見ます。私は原爆の悲惨さについては寡黙に過ごしています。
胸が痛むからです。JR福知山線事故の関係者の心はこれから六十年経ても戦禍
と同じように癒されることはありません。泣けど叫べど死んだ人は帰ってこない、
障害を負った人たちの苦しみは生涯続きます。長い苦悩の始まりです。
原因究明と対策は大切だが
取材するマスコミは紳士的に
 今般の事故は究極的にはJRの落ち度ですが、記者会見のマスコミの罵詈雑言的質問態度は被害者の心を慰めることにはなりません。冷静に原因を追究しJRの今後の対応や補償を聞き出す役目を果たして欲しいと思いました。JRの全職員が責任を連帯し謹慎すべきであるとは考えません。鉄道マンとしての自覚に欠けていた職員は確かに居ると思いますが、船員はシーマンシップを失い、多くの組織に属する人たちは組織に対して忠実ではありません。
 医師は仁を忘れ、僧侶は信心を忘れ、教師は労働者になりました。
 時として目には目、死には死で償い返すような責任追及が見られます。
 事件や事故が起きた時に何人か自殺してまた責任感を証明するようなことにならねばいいがと心配になります。
 電車が突っ込んだマンションは買い取り更地にして慰霊碑を建てて、無事故の誓いの石碑を立てて、遺族には全て一億円くらいの慰謝料支払って、怪我した人の将来の生活相談に乗るくらいの覚悟はしてもよいと思います。
 犠牲者の気持ちは我が身のことのように同情できます。でも死んだ人、身体に障害を負った人の身体を元に返すことは絶対に不可能です。これは手厚く補償されなくてはなりません。
 これらの事柄が納得できるまで成されなければ、交通機関は安心して利用できません。JR西日本は事故解決の見本となって欲しいと思います。

■多くの交通機関、原子炉、製薬会社、高炉、産廃を出す企業、レジャー宿泊施設など、無過失の人が身体や生命に被害を受けることは将来に絶対無いとは断言できないからです。安全を保障するための経費を惜しんではなりません。企業の利益は安全を惜しんで利益を得ることは許されないことです。
 安全な環境は高価なものです、安全に優先するものはありません。
 不殺生という仏教の教えに基いて話していますが、一番心配していることは保護者を失った子供さんが被害者に多くおられるという心配です。
 親を帰せ、夫を帰せ、妻を帰せ、子供を帰せと、不可能なことを嘆かれ、要求される悲嘆もあります。
 今年の四月は良くない四月になりました。連日JRの事細かな不祥事が報道される、見ていると悲しくなります。
 正しい戦争で無辜の民が虐殺された悲哀と同じです。企業犯罪の責任を追及することは大変に難しいことです。
 この事故では運転手が亡くなっておられ、その声は聞くことができません。
 おそらくは、ひそやかにお弔いがなされたと思います。これを放置して出勤した同僚は悲しいことです。
 連日伝えられるJR職員の飲食やゴルフなどの、不祥事と申しましょうか、これが事故と直接関係は無いと思いますが、沢山の職員に徹底反省謹慎せよとマスコミは世論を誘導しているように思えてなりません。当然です。
 国土交通大臣が全国の軌道に新型のATSを設置するよう指導したのは大きな前進です。この機能を丁寧に報道するマスコミが少ないのはマスコミの怠慢そのものです。過去の信楽鉄道事故から十四年、そして今般の事故です。
 平成十七年四月二十五日午前九時十八分、JR西日本は社史に今般の事故の原因と対策、死者と負傷者と乗車していた人の名を記録すべきです。

月刊観自在が通巻三〇〇号になりました
この冊子は供養と祈願を証明します

 観自在を月刊として発行するようになりましてから、二十年と五ヶ月、長いような短いような月日が流れました。
 多くの皆さまのご助力をいただいて続けて発行することができました。真に尊いご奉仕を頂きました。
 毎月三十二頁、全頁カラー冊子を毎月一日の発行日に遅れないように送付先の宛名や帯封筒、投稿や原稿の校正、色の具合、文章の内容等を管理し維持することは命懸けだったと思います。
 原稿も手書き、ワープロ、パソコンと変化し、現在はメーリング・リストに原稿を送り、沢山の意見を聞くことにより、公序良俗の範囲内で編集するよう沢山の方々の協力を頂いています。
 俳句や川柳、短歌、沢山の写真や絵なども皆さまのご協力を頂きました。
 写真は時には朝日新聞フォトサービスから購入しました。その他、デザインなども多くの人の協力を得ました。
 月刊観自在と同時に観音院には膨大な文書管理、加えてインターネットの普及に合せて観音院のホームページを作成しました。ここにも観自在の原稿を転載しております。
 大変に人気が高く、伝統仏教のホームページでは人気サイトです。
 ホームページでは観音院のサイトの中を「検索」する機能が付いています。
 これは冊子では不可能なことで、電算機網の中で可能なことです。「慈悲」という言葉で検索すると九十八項目が即座に出て来ます。閲覧者は多い日には一日二十万件に達することもあります。十八%は海外の方です。忙しい方には日本のことを知るダイジェスト版の役割を果たしています。
 観音院のサーバにはホームページ三百のドメインを収容する容量があります。ご希望者にお貸ししています。
 ホームページも観自在同様に全国に沢山のご奉仕の方々がおられます。
 観音院でネットで検索するとページとの一致中一万四千四百九十件の一位にランキングされています。観音院と称するお寺は全国に沢山あります。具には、合法格物致知山 永徳寺 観音院ですが、それら個々の関連サイトで沢山アクセスされると自動的にランクが上がる仕組みになっているようです。
■観音院は僧侶の住処ではなく、信徒さんのものです。私も住職も観音院を私物化しておりません。
 運営は信徒さんから専任した五十名の評議員、十名の責任役員、三名の常勤監事、七名の教師総代から成立していて、予算決算は役員会の承認が必要です。監事は独立して不正ある時は役員総会を召集して糾す権限を有し、役員各位は三人乃至七人で緊急の課題ある時は何時でも役員会を招集できます。
 これらの会議には私も住職も関与しません。観音院は運営と経理を公開しています。公開の手段が「月刊観自在」であり、「ホームページ」なのです。
 観音院の運営に善悪が生じた時はどちらも信徒さんの善悪に帰します。
 僧侶は司祭者の立場を踏み外すことは起き得ない規則になっています。
 年中無休の三座の毎日の法要も、毎月第一日曜日の大般若転読法要も全て信徒さんのご意向に沿ったものです。
 幸いにして役員召集の役員会は今までに一度も開かれたことはありません。
 私も住職も僧侶も専従職員も、信徒さんから望外の処遇を受けていて有り難いことと感謝の言葉も尽くせません。
 観音院には全ての公益法人の理想とするものが実現されています。その上に、更に高度な公益宗教法人の姿を求めて将来計画があって欲しいものです。
 テレホン法話の吹き込みも毎週の日曜夜か月曜日に録音しますが、二万回を超えました。内容は格別に原稿を書いたりしておりません。
 私は前もって原稿を用意する習慣が皆無なのです。心に移ろうことをそのまま話して二万回を超えれたのです。
 月刊観自在の原稿も同様です。格別に調べものをしたりして書きません。その都度、頭に浮かんだことを升目に流し込んで今日があります。
 格別な布教計画などありません。完全に自然体です。大きな筆禍や舌禍を引き起こさなかったのは幸せです。
 私は「十善、是れ菩薩の道場」という慈雲尊者の言葉を堅固に信じて、それを杖として生きています。お陰さまで、十善のテキスト量では世界一かも知れないと思うことがあります。
 思い上がりはありません。結果的にそのようなことになりました。
 不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、
不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、
不瞋恚、不邪見—-「十善戒」は非常に
優しく、格別に奥深い内容があります。
これを護持すれば、悟りが開けます。
 私もまた、慈雲尊者の如く十善の中に住めば、幸いの極地が得られると申して置きます。これは引用では無くて私の体験を話しているのです。
 一切の知ると知らざると犯した悪しき行いを清め、悪しき因縁を解脱し、み仏さまのご加護が頂けます。
 私が腰に鈴を付けるようになったのは随分昔のことで何時ごろか記憶しておりません。鈴が鳴ると私の存在が明確となり、以来、私は私や寺に関する誹謗中傷や悪口雑言に類する話を耳にした事がありません。何時の間にか鈴之僧正と呼称されるようになりました。
 これは大僧正とか小僧正とか序列を示すものでは無くて、皆さんから頂いた通称です。しかし「十善戒の鈴之僧正」は大きなブランドになりました。
この通称は加賀勧善さんが継いで下さる約束になっています。