仏法はひうちぶくろ?

歌に詠まれた仏法

寅さん  ご隠居にお訊ねします。
仏法は障子のひきて峰の松 ひうちぶくろにうぐいすの声
 ご隠居なら、これをどう解釈します? 言うに事欠いて、仏法(ぶっぽう)は障子のひきて、だなんて、少しばかり、ふざけすぎていると思いませんか?
ご隠居  どこから探してきたか知らないが、たぶんこれは道歌(どうか)というものだろう。
寅さん  へえ、道歌ね。
ご隠居  道歌というのは、仏教などをひっくるめて庶民の精神性、道徳心を高めるために詠(よ)まれた教訓的な短歌のことだな。
寅さん  ではご隠居には、この歌の意味が分かるんですか?
ご隠居  この歌の詠まれた真の意味を、正確に解釈するのは難しいが、それでもここに詠み込まれている言葉の一つ一つ吟味してゆけば、あるていどまで歌意が把握できるのではないだろうか。  まず仏法だが、真の仏法というものは紙墨(しぼく、文書のこと)の上——仏の教えが説かれているお経文(きょうもん)のなかにあるわけのものではなく、ほんらいの「仏法」は、「この天地をおおい尽くしている真理そのもの」こそ仏法なのである、とする。
 そして仏法は、その真理——万物の真実のすがたを説き明かしたものであり、ゆえに一切(いっさい)の諸法(しょほう)——あらゆる存在も、皆これ仏法であり、諸法は実相(じっそう)なりとしている。
 さて、障子の引き手だが、その昔、障子というのは、部屋を仕切るための建具(たてぐ)の総称であって、襖(ふすま)、板戸、衝立(ついたて)など、すべて「障子」と言っていた。
寅さん  すると、私たちがふだん馴染んでいる障子は・・。
ご隠居  無かった。たて、よこの桟に紙を貼って採光を考えた現在のような障子は、いわゆる明かり障子というもので、これはどうやら江戸時代の後半にできたものらしい。
 したがってこの場合の障子は、唐紙を貼ったふすまか、板戸のことだ。これらは、かりに締め切ってあるとノッペラボーで、どこかに指をかける手掛かりがないと、開けるのに手間ひまかかる。
 そこで、この障子を開けたければ、ここに引き手があるから、どうぞご遠慮なく、というのが障子の引き手の役割といえよう。
 この道歌に詠まれている障子とは、あちら側とこちら側を遮断する「境界」を示唆するものだ。  障子をへだてて向こうにあるとされる仏法なるものは、はたして一体如何なるものであろうか。
 その未知なる仏法というものを知るためには、前にある遮蔽物(しゃへいぶつ)、つまり障子を実際に開けてみなければ、自分にとって良いものかどうか判別のしようがない。
 したがってこの場合の障子の引き手は、仏法に手っとり早く近づくための手段、アプローチとして欠かせない役目を果たしている、ということを言っているわけだな。
仏法はひうちぶくろ?
寅さん  なるほど・・障子はまあよいとして、峰の松とか、ひうちぶくろのほうはどうします?
ご隠居  松は常緑樹の代表的なものだ。そして、暑い夏も寒い冬も青々と、一年中かわらぬ美しい緑の葉を繁らせている。
 そんな松が、はるか遠く高い山の頂きに、泣いたり、笑ったり、怒ったり、僻(ひが)んだりしているわれわれ俗世間と関係なく、超然として立っている様子が、いかにも仏法の本質を思い描かせるだろう。だから仏法は峰の松なのだ。
寅さん  では、ひうちぶくろは?
ご隠居  寅さんは「火打ち石」は知っているだろう?
寅さん  聞いてはいますが、見たことはありません。
ご隠居  その火打ち石を入れる袋のことを「燧袋(ひうちぶくろ)」という。燧石は石英の一種で、この石に鉄片を打ち合わせて発火させる。
 マッチが普及する以前の日本の暮らしは、すべてこの火打ち石のお世話になっていた。
 というよりも、生活に必要欠くべからざる必需品であったから、その保管に細心の注意を払った。石英、鉄片のどちらか片方が欠けても、火を起こす用をなさない。だから、この二つの道具が紛失しないようにわざわざ袋をこしらえ、その中に仕舞ってだいじに保管した。これがすなわち火打ち袋だ。
 こう考えると、寅さんにもおおよその察しがついただろう。
 かたや、はるかに仰ぎ見る峰の松は、どこか知性的で、気難しげで近づきにくいものを私たちに感じさせる。
 そういう悟り澄ましたイメージが仏法の有する一面でもあり、そうかとおもうと、こむずかしい理屈はおあずけに、我々庶民の日常にとけこんで、火打ち袋のように便利な道具としてみんなに調法がられる。それも仏法が持つ一面でもあるわけだ。
 このように、仏法には、あたかも、峯の松を望み見るごとく崇高(すうこう)深遠(しんえん)な側面があるかとおもうと、火打ち袋のように世俗の日常卑近な道具として、人々の暮らしを支援して、みんなから喜ばれる、そういった人懐こい庶民性も、仏法は兼ね備えているというわけだな。
寅さん  しつこいようですが、うぐいすの声は?
ご隠居  うぐいすは、早春になると、人里近くへやってきて、美しい啼き声で春を告げ、人々の耳を楽しませてくれるではないか。それもすなわち仏法だ。

 柳は緑に花は紅(くれない)、山は高く、海は深く、日は毎朝、東より出で、月は夜夜西に沈む。

 道元禅師のお作ともいわれる、

 春は花 夏ほととぎす 秋は月
      冬雪さえて涼しかりけり

とあるように、天地の間の、ありとあらゆる人畜虫魚、山川草木、なに一つとして、仏法にいう真如実相ならざるものはない、とされている。
寅さん  それにしても、こんなもってまわった判じ物みたいな道歌が、なぜ作られたんでしょうね。
ご隠居  仏法というものは、全部が全部と言いきれぬまでも、だいたいにおいて内容に抽象的なものが多い。
 たとえば過去の話や未来の話、そして十万億土の西方のことだとか—-、私たちの真言宗にかぎっては即身成仏だけれども、他では三大阿僧祇劫(あそうぎこう)の成仏だとか、とにかく茫漠(ぼうばく)とした話が、どこまでも無限にひろがりすぎるものが多いので、聞き手であるわれわれには、どこかよその世界のことの話のようで、いまひとつピンとこない。
 そこで、いやいやそうではない、仏法というものは、本来われわれにとって、もっと身近なものであるということを知ってもらう方便(ほうべん)として、私たちの眼前に展開するふだんから見慣れた事象(じしょう)を取り上げて、それもこれもすべて仏法の真理でないものはない、ということを伝えるために、このような道歌が作られたのではないだろうか。
 そんなわけで、ここでもう一首あげてみることにする。
 みなさんなら、この道歌をどのようにお解きなりますか?
 ひとつ考えてみてください。

 仏とは如何なるものを
  いふやらん
   墨絵にかきし松風の音
七曜戒 朝の言葉・月曜日
 大切にする。すべてのものを、徹底して大切にする。
 大切にすべきもの、人生まれながらにして持てるみほとけの心なり、知識教養技術にて世に処せんとするは限りなき努力の道なり。
 生きとし生けるものを慈しみ、あたたかき心で接するはみほとけの心にして、かかる人を善き人柄の人とも、また菩薩の行いをなす人ともいうなり。
 大切にすべきものの第一はこの善き人柄にして、人の持ち得る能力のうちで最も力ある能力とされるものなり。親にしては子に子にしては親に、夫は妻に、妻は夫に、あるいは世の人々に、われら、常に善き人柄の人として讃えられん。特にわれ優位の立場にあるとき、善き人柄であることを誓うものなり。
 大切にすべきものの第二は仕事なり、生まれきて汗して働かざるものは人にあらず、みほとけの強く厭いたまうところなり、分に応じて自らなすべきところに従いて働くは世を富ましめ自らも幸いなる人とならん。
 仕事をなすは奉仕の心が根本にて、人は報酬を得んがために働くにあらず、生けるしるしとして、自らの向上を願いて働くなり。
 大切にすべきものの第三は自らの在る場所なり。わが住む家を始めとし、その土地、仕事、なすべき職場、その社会なり。家を治めずして仕事を語るなかれ、打ち込むべき仕事を持たずして社会人たる資格なし、世に尽くさずして幸いを語るなかれ。
 観音院常用教典「まことの道」 四十一ページより
*皆さまも朝あるいは夜、空いた
 時間に、お声に出して、意味を
 考えながら、自らのこととして、
 ゆっくりとお読みください。

法華経を書写する経師が
邪淫を犯して報いをうける話
「日本霊異記」より

 河内の国(大阪府)丹治比の郡に、郡名とおなじ姓をもつ丹治比(たじひ)という経師(きょうじ・経師とは、この物語のように経文を書写する人を指すばあいと、もう一つの解釈として、べつだんとりたてて徳行もなく、ただ経書を人に授けるだけの教師を指すばあいとがある)が住んでいた。
 その丹治比郡内の、ある村落に仏法修行の道場があった。現在、大阪府羽曳野市にある野中寺(やちゅうじ)の前身で、当時は野中堂といった。
 光仁天皇の御世(七七〇ー七八一年)、宝亀(ほうき)二年辛亥(かのとい)の夏六月、写経供養の願を立てた土地の有徳人(うとくじん)があって、その写経場を野中堂として経師を招くこととなった。
 そして法華経の書写に丹治比がえらばれたのである。
 丹治比の写経作業は日の経過とともに順調にはかどっていた。
 そこには近在から結縁(けちえん・作務して仏の道に縁を結ぶ)を求めて、毎日、たくさんの女人(にょにん)たちも奉仕に参集していた。
 そんなある日のこと、女人たちがいつものようにお堂のまわりを掃除したり、水を汲んだり、甲斐甲斐しく立ち働いていると、未申の刻(ひつじさるのこく・午後二時頃から四時頃までのあいだ)、空が急に曇(くも)って、激しい夕立になった。
 女人たちは雨を避けるために、われがちに屋内へ駆け込んだが、あいにくその日に限って野中堂は人の出入りが多く、雨宿りの全員を収容しきれなかったので、残りの者は丹治比の写経する部屋へ押し寄せた。
 たちまち、狭い写経部屋は女人たちによって占拠され、静寂がやぶられた。
 そんな状態では写経を続けるわけにもならず、筆を置いてしばらく、丹治比は、ぼんやり女人たちを眺めていたが、むせかえるような異性のにおいに包まれているうち、しだいにみだらな欲情がきざしてくる己れを抑えきれなくなっていた。
 自制の箍(たが)がはずれ、経師という己れの立場も、場所柄も忘れた丹治比は、みずからの劣情のおもむくままに、行動に移したのである。
 彼は、こちらに背を向けて座っていた娘の背後にしゃがみこみ、その裳裾(もすそ)をたくし上げたかとおもうと、いきなり婚(くなかう・男女の交合のこと)ったのだ。
 けれども、それは、ほんの束の間(つかのま)のことであった。丹治比と娘の肉体が完全に結合したとき、娘は口から泡を吐いて息絶えていたし、また経師もともにこと切れていたのであった。

 この一事でも明らかなように、仏法を守護する神の下す刑罰は峻厳(しゅんげん)である。
 放埒(ほうらつ)な色情が身体や心を惑わすといえども、決して淫らな行為に及んではならない。
 肉欲によって自制心を失い、己れの欲望を満たそうとするような愚か者の行為は、まさに蛾が火に飛び入るように自滅する。
 したがって「律」にあるごとく、「思慮浅き若者は、口頭の話題だけでも情欲を起こす」から注意しなければならない、と。
 また涅槃経(ねはんぎょう)に、「五欲(ごよく、色・声・香・味・触の五境に執着して起こす五種の情欲)のあるべき姿を知ったならば、歓楽などはない。
 だからその快楽に執着し、とどまることも無い。犬たちが肉片の付いていない骨を飽かずに、いつまでもしゃぶって放さない、それと同じようなものである」とあるのは、このことを言っているのであろうか。

※山門の水掛け地蔵さまは、私た
 ちの罪障を洗い清めてくださる
 ために、代わりに水をかぶって
 下さいます。お参りの時は心し
 て丁寧に水をお掛けください。