み佛(ほとけ)さまにお供えする明かりを燈明と言います。
燈明は、六波羅蜜(ろくはらみつ)の「智慧(ちえ)」をあらわしています。
佛教には六波羅蜜の教えがあります。それは、「布施(ふせ)」「持戒(じかい)」「忍辱(にんにく)」「精進(しょうじん)」「禅定(ぜんじょう)」「智慧」です。
佛教でいう智慧は、普段私たちが使う知恵とは区別され、サンスクリット語の「理智(りち)」の訳として用いられています。これは、心の迷い、煩悩(ぼんのう)を滅し、物事の真理を明らかにして悟りを開くこと、正しいことと間違ったことの判断、正邪(せいじゃ)を区別する力を持つことをいいます。
中でも、この世に存在するすべてのものの本質は皆「空(くう)」であることを認識とします。空とは、すべてのものは因縁により現在あるものだからそこには実体と言うべきものは何も無い、存在を絶対視したり執着(しゅうじゃく)してはならないという思想です。
の俗語刑パンニャーは「般若(はんにゃ)」と漢訳され「空」の心を説いた経典「般若経」の名はここに由来しています。
■またお燈明は普通左右一対でお供えします。
これは「自燈」「法燈」と呼ばれ、お釈迦(しゃか)さまがクシナガラの郊外にある沙羅双樹(さらそうじゅ)の木の下で説かれた最後の説法の一つである「自らを燈火(ともしび)とし、よりどころにせよ。法を燈火とし、よりどころにせよ。」という教えを形にしてあらわしたものです。
続き→「日々のご供養」
続き→「ロウソクのはじまり」
続き→「燈供養具(とうくようぐ)」
続き→「般若心経ロウソクの功徳」