十善戒は日常 護持しやすい仏教の戒律

「三摩地のアプローチ」
 カレンダーをめくり、残り一枚のみになり、少々心細そうに十二月の風景と四週間余りの日付を示す姿を見て、破り捨ててきたページの厚み分だけ、自分の納得できる生活を送ってこれたのだろうか、と省みる今日この頃です。
 山々がしだいに彩りを失っていくのと対照的に、街では、年末に向けて賑わいを呈してきます。
 今年もいろいろな事故や災害、事件がありましたが、おかげさまで、信徒さまも職員も無事に過ごすことができました。これも、み仏さまのご加護を信じてご守護頂いた結果だろうと存知ます。

 観音院の法主さまや院主さまが法話の中で度々、「信心」という言葉を使われます。信じる、ということは、とても大きな力を発揮します。そして、私たちにおかげや恩恵を与えてくださいます。
 何かしらの幸運な出来事が起きた場合、何も信じていなければ、ただ単なる事実としてしか残りません。しかし、そこに何らかの信仰心があれば、ああ、信じて祈っていたおかげで良い結果を得られた、有り難い、という「感謝」の気持ちがそこで生まれます。

 先日、遍路を重ねる先達の話を聞く機会がありました。
 阪神大震災のとき、たまたま家を留守にしていたおかげで、全壊した家の下敷きにならずにすんだ。瓦礫の下を探ると、そこには、お遍路の御朱印帳が出てきて、ああ、これはお大師さまが守って下さったのだろう。これは、お礼参りをしなければいけない。
 こういった経緯で、その人は遍路を何度も回ってさらに行を重ねているといっていました。
 信じることで得られた結果が、さらに何かをしてみようという原動力を生み出す。そのような善き循環が存在しているようです。

 医学でも免疫力、自然治癒力、信心、笑いの効用など採りいれたり、プラシーボ(偽薬)効果という言葉があるように、医学的にも、「信じる」という力に何かしらの効力があるとされています。治療効果の望めない栄養薬等を、病気に効くと信じ込むことで、本当に症状が回復に向かう。そういった事例が、実際にあるのです。
 プラシーボ効果を得るためには、患者の医者に対する絶対的な信頼感と、また、医者がその処置をすることで絶対に患者が良くなると信じることが必要とされるようです。どちらかが、半信半疑でいては治療効果は望めません。
 僧侶が行う加持祈祷(かじきとう)にも同様であると言えます。祈願者の皆さまが、み仏さまにお願いすればきっとうまくいく、良くなる、と信じて、僧侶もまた、祈願者の思いをみ仏さまに届け、必ずや願いがかないますようにと念ずることで、両者の思いが加持感応(かじかんのう)し、そこで霊験が得られる。そういったものであると私は思っています。
 観音経にも「念念勿生疑(ねんねんもっしょうぎ)」という一節があります。観音さまの「大慈大悲」を疑うことなく、一心に念じることの大切さを説いています。

 さて、仏教徒としての行うべき修行徳目としては、六波羅蜜や三学といったものがありますが、それらは、最終的に何を求めているかと申しますと、日々に十善戒を守る、仏の智慧(ちえ)です。
 一口に智慧、といいましても、計算する能力とか、暗記する能力とか、処世の能力など、さまざまですが、ここでいうところの智慧とは、般若、つまり究極の智慧であり、即ち「覚る」ことです。
 覚るということは、どういうことか。それは、真理に気づく、輪廻(りんね)から解脱(げだつ)し、涅槃(ねはん)に入る、など、色々な言い方がありますが、その内容は筆舌に尽くしがたく、人生を善く生き、体験した者にしか分からない境地と言えるでしょう。
 初期仏教や大乗仏教において、覚りへのプロセスのうちで最も大切とされるものが、瞑想(めいそう)、禅定(ぜんじょう)です。心を落ち着けて、真理について、思惟することを三昧(サンスクリットでは「サマーディ」)といいます。
 真言密教で、法身(ほっしん)大日如来と行者が入我我入(にゅうががにゅう)して、真理に目覚めるために行われる身・口・意の三密加持の中の「意密」においても、心を三摩地に置くことが重要とされています。
 心を寂静にして、ありのままの真実を見つめること、それが覚りへの一歩となるのです。

 穏やかな瞑想を行うための方法の一つに、瑜伽(ヨーガ)があります。ヨーガとは、本来は馬などを紐で繋(つな)いでおく、結びつけるという意味でしたが、そこから派生して、意識を縛り付けるという「精神統一」を意味するようになりました。
 現在、われわれが認識しているヨーガは、複雑な姿勢をとって、体の柔軟性を高めるなど、健康面を求めるものが一般的であると思います。それは、ヨーガの中でも「ハタ・ヨーガ」と呼ばれるものから派生したもので、さまざまな体位(アーサナ)を用いることで瞑想状態を作り出すことを目的としています。
 瞑想は、積極的に一般の人々も行うと良いと思います。
 心を落ち着けるトレーニングを積むことで、冷静に物事を判断できるようになります。

 人を惑わす三つの煩悩、貪・瞋・痴(とん・じん・ち)の三毒は、「禅定をする」ことで克服することができるでしょう。
 これは、本当に必要なものか、人にお金を借りてまで買うものなのか、とか、なぜ腹立たしいのか、いらいらしている原因は何だろう、それはどうすれば解消できるのか、とか、人として道を誤っていないか、など、物事を冷静に見極める目を養えることと思います。
 穏やかな心でいつづけるためには、こだわりを持ち過ぎないことが重要です。欲望を持つな、というのではなく、執着しないように、という意味です。
 心に何の心配事もなく、一つの仕事を一生懸命に勤める、ということも、見方を変えれば、ある種の三摩地なのかもしれません。

 お大師さまの著書『十住心論』の中で、「嬰童無畏心(ようどうむいしん)」と呼ばれる心の段階があります。嬰児が母親に抱かれている時のように、絶対的な安心感の中で恐れを抱かない心、つまり、自分が信じる絶対的な存在(宗教)にすがることで心の平穏を得ている人々のことを指します。
 つまるところ、精神的な集中、三摩地を獲得する上で、何かを信じる、という行為がとても重要な部分をしめていると言るでしょう。

 観音院では、今年も年末に「大掃除」を行います。掃除は僧侶の基本、行法中に三摩地に入り、ご本尊さまを壇上にお迎えします。み仏さまをお迎えする道場をきれいにしておくことは僧侶が三摩地を得やすくなり、お参りにいらっしゃる参拝者の皆さまのご祈願についてもしっかりと拝むことができます。毎月の第一日曜日午前八時からもお寺の掃除があります。お時間がありましたら、是非とも、お手伝いくださいませ。

七五三の厄除け通過儀礼

赤く色づく山々の景色に、過ぎ行く時間の速さを感じます。今年もあとわずかとなりました。
 各地で秋の収穫を祝う祭りが盛んに催されるのもこの時期です。
 観音院でも、例年通り「お初穂祭」を行います。またご先祖さまに感謝を捧げ、丁重に「先祖供養」のご法要が執行されます。

七五三は子供さんの厄除け

 十一月十五日前後には、七五三のお祝いが行われます。ご家族の皆さまで観音院にお参りされて、お子さまの無事成長をみ仏さまにご報告して、これからも御加護を頂かれて、健康で過ごせるように、学業成就を願って、是非、ご家族でご祈願なさってください。
 さて、この「七五三」は、日本古来の両親の慈愛と祈念、親族の情愛に基づいたもので成長を祝う「通過儀礼」の一つです。
 現代の日本で、誰もが経験するであろうと思われる代表的な通過儀礼といえば、誕生、入学、就職、成人式、結婚、死を迎える臨終といったところでしょうか。
 束縛される社会的な規範も一昔前に比べれば随分少なくなってきました。「元服」したからといって名を変える必要や髪を剃る必要もありません。儀式の前後で環境と責任が一変するほどの通過儀礼は、生死以外では、おそらく結婚くらいかもしれません。

 千数百年来、日本の文化や儀礼の基盤となってきた仏教ですが、釈尊が生きておられた当時の古代インドの、通過儀礼にはどのようなものがあり、また、その儀式を終えた後には、どのような人生を送っていたのでしょうか。
 釈尊が生まれた紀元前五世紀頃、インドでは『ヴェーダ』と呼ばれる神々への讃歌を記した聖典をもとにした祭祀を行うバラモン教が主に信仰されていました。
 また、紀元前二世紀頃からは、生活の規範や法律の規定などを記した『マヌ法典』と呼ばれる聖典に基づいて、人々は生活を送っていました。通過儀礼に関してですが、人生を四つの期間に分けており、これを四住期(しじゅうき)と呼ばれます。
 第一の期間は、学生期と呼ばれ、ヴェーダ聖典をバラモン僧のもとで勉強する期間をいいます。
 第二の期間は、家住期と呼ばれ、結婚して子供を作り、家長として生活を送る期間をいいます。
 第三の期間は、林住期と呼ばれ、家督を子供に譲り、隠居して町外れの森林に住んで修行生活を送る期間をいいます。
 第四の期間は、遊行期と呼ばれ、聖地など各地を行脚(あんぎゃ)して乞食(こつじき)生活を送り、最終的には死へと旅立つ期間をいいます。
 当時の人々は、ヴェーダの無謬(むびゅう)性を疑うことなく、そこに記された生活を送ることが人々の理想とされていました。
 マヌ法典に記されている規律の中で、人々の階級区分を定めた「ヴァルナ」と呼ばれる制度があります。これは、「カースト制度」とも呼ばれ、バラモン(司祭者)を筆頭に、第二位のクシャトリヤ(王侯・武士)、第三位のヴァイシャ(農民・牧夫・商人)、第四位のシュードラ(隷属民)、また、その枠からも外れたアウトカーストと呼ばれる不可触民層を設けて社会を統制しようとしたものです。

 釈尊は、現在のネパール国付近の地方豪族の王子として生まれました。クシャトリヤの身分にある釈尊は、幼い頃から何不自由ない暮らしを送り、妃もヤショーダラを含めて三人娶り、また、息子のラーフラをもうけました。
 このように、釈尊も出家前は、当時の理想とされた生活を送り、通過儀礼を行っていたようです。
また、このカースト制度は、職業や婚姻などの面で現在でもインドに深く影響を残しています。
 さて、釈尊が国も裕福な家庭を捨て、出家される直接の原因になったのが「四門出遊(しもんしゅつゆう)」と呼ばれる出来事だといわれています。
 王城に住んでいた釈尊は、城の東西南北にある門から郊外に出かけようとしたとき、東門では老人、南門では病人、西門では死人に出会い、世の中は諸行無常で、苦しみも多く、何事も思い通りにならないものだと嘆いていたところ、最後に出た北の門で心の平静さを保つ一人の修行者、沙門(しゃもん)に出会いました。
 釈尊は、その姿を見て、自分の歩むべき道に気づき、ある晩、皆が寝静まった頃に愛馬のカンタカに乗って城下から出奔しました。
「沙門」とは、サンスクリット語ではシュラマナといい、出家して仏門に入った人のことを言いますが、ここでは、バラモン教の社会支配を認めず、覚りを求めて出家して修行をする人の事を指します。
 釈尊が生きた時代は、丁度、インドに反バラモン教の修行者が大勢現れた頃でした。その中でも、六師外道(ろくしげどう)と呼ばれる六人の思想家たちが特に有名です。その六人とは、因果応報を否定したプラーナ・カッサパ、すべての出来事は宿命付けられているとしたマッカリ・ゴーサーラ、唯物論を説いたアジタ・ケーサカンバラ、あらゆる存在の構成要素は地・水・火・風・楽・苦・霊魂からできており、それ自体は不滅であるとしたパクダ・カッチャーヤナ、懐疑論者で、後の釈迦十大弟子となるシャーリプッタ(舎利子)とマウドガリヤーヤナ(目連)二人の師でもあったサンジャヤ・ベーラッティプッタ、ジャイナ教の開祖であるニガンタ・ナータプッタのことで、彼らの思想は、同時代の釈尊にも少なからず影響を与えたことでしょう。
 かくして、釈尊は、地位も財産も家族も捨てて、真理を求める修行の旅に出かけたのでした。

 さて、世界の宗教ではさまざまな通過儀礼があります。キリスト教では洗礼、ユダヤ教などでは割礼、ヒンドゥー教では聖紐(せいちゅう)の儀式などがあります。
その他にも、民族的な信仰を含めると、実にさまざまです。
 仏教にも得度受戒、帰依式などあり、信心を深めますが、真言宗の僧侶としての儀式にはどのようなものがあるのでしょうか。
 僧侶になるためには、師僧を求め、まず得度を受けます。
 得度とは、「度を得る」、つまり、「彼岸に渡ること」、涅槃に入ることを求めることを意味し、出家して俗世への未練を断ち切り仏道に精進することを意味します。
 次に、受戒(じゅかい)です。観音院では仏教徒として解り易い「十善戒」を法主さまがご説明してくださっておられます。
 戒とは、修行者が守るべき規範のことです。戒には、沙弥(しゃみ)戒、比丘(びく)戒、菩薩戒などがあります。戒を受けた時点で僧侶としての出発点に立ちます。
また、ここから四度加行や伝法灌頂などを経て、真言密教の僧侶になりますが、仏教の修行とは生涯、日常の生活において、み仏さまの教えを守ろうと努力し、他の人々に慈しみの心で接したいと願い、実践を続けることです。
 観音院では、得度、受戒式を随時、受け付けております。仏道に親しまれたい方、正式に仏縁を結ばれたい方、修行をしてみられたい方は、ご相談の上、お申し込みください。

月と仏道

旧暦の八月十五日は中秋の名月。今年は九月十八日にあたります。
十五夜は、三五(さんご)の月とも呼ばれます。これは、掛け算の三×五=十五というところからきています。
 月の満ち欠けは、世界各地で太古より暦として用いられてきました。太陽ではなく、月を基準にした際に生じる季節と暦との差をなくすために閏年を設けたり、中国では秋分や春分などの二十四節気をつくり調節していました。
 日本でも、この太陰太陽暦は、明治政府が変更するまで使用されていました。
 農業や水産業に携わる人には月の運行は大切な判断材料になりますが、われわれの多くが、特に月の存在を意識する時期は、やはりこの秋の望月(もちづき)の頃ではないでしょうか。
 私も、幼少の頃、幼稚園の行事で団子とススキを飾り、夜の満月を待つ、わくわくとした感情を憶えています。

 万葉集に、次のような詩があります。
世の中は空しきものとあらむとぞ
この照る月は満ち欠けしける
      (よみ人知らず)
 このように、昔から月を題材とした和歌も数多く作られており、「もののあわれ」など、趣きや情緒を尊ぶ日本人にとって、文化面、風俗面で見ても、「月」は暮らしの中に深く溶け込み、われわれと共に歩んできた歴史があるといえます。
 日本で最初に創られたかなの物語で、平安文学を代表する作品に『竹取物語』があります。竹から生まれたかぐや姫は、やがて美しく成長して、貴族の子息たちに求婚されるが、その申し出を断り、八月十五日の夜に月の祖国へ帰っていく、という話は広く知られています。この物語の作者は不詳ですが、仏教に精通した者であるとされていて、一説には、弘法大師空海が創ったものであるともいわれています。
 その他、月が関係している仏教の説話の中には、『ジャータカ物語(古代インドの仏教説話のひとつ、本生譚・ほんじょうたん)』という釈尊の、前世における修行時代の説話集の中には、月の中のウサギについて、次のような有名な話があります。
 とある森の中に、ウサギと猿とジャッカルとカワウソが住んでいました。ある日、ウサギは仲間たちを集めて、日頃の行いを正すための布薩(ふさつ)や布施などの修行の重要性を説いていました。
 そこへ、動物たちの修行に対する熱意を確かめるため、修行僧に扮した帝釈天(たいしゃくてん)がやってきました。
 修行僧は、ウサギたちに食べ物の施しを乞いました。
 ウサギ以外の動物たちは、それぞれ、自分が日頃から食している木の実や肉、魚などを持ってきて、修行僧に勧めました。
 しかし、普段から草ばかり食べているウサギは、修行僧にふさわしい食べ物を提供することはできないと考えました。そこで、修行僧に火を起こしてもらい、自分の肉を与えようと火に飛び込んでしまいました。
 ウサギの心を見抜いていた帝釈天は、特殊な能力を使って火に細工をしていたので、ウサギの毛は一本も焼けることはありませんでした。そして、ウサギの施しの心を讃え、月にウサギの絵を描いたそうです。月の模様は、日本では、ウサギが餅つきをしている姿として見られるのが一般的ですが、諸外国では、女性の横顔やカニ、ライオンなどに見られるところもあるそうです。
 さて、ウサギたちが行っていた布薩(ふさつ)についてですが、これはもともとバラモン教の儀式が仏教に取り入れられたもので、満月と新月の日(毎月十五日と三十日)に、在家信者の優婆塞(うばそく)や優婆夷(うばい)たちが寺院に集まり、一昼夜の間、僧たちの説法を聞き、八斎戒(はっさいかい:不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒の「五戒」に、装身具をつけないこと、高くて広いベッドに寝ないこと、昼を過ぎて食事をしないことを加えた八つの戒律)を確認しあったり、罪過(ざいか)を懺悔(さんげ)したりする儀式を行った行事です。

 密教の修法などでは、月の満ち欠けは非常に重要な意味を持ってきます。修法を始める開白(かいびゃく)の日も、満月の日を選んで行われます。それは、新月から満月に推移する一日から十五日までの間、月が徐々に満ちるのと同様に、欠けることのない力を持った望月の日に儀式を始めることで霊験を得ようとしたという説があります。
 また、「阿字観法」という瞑想(めいそう)法の中で、満月を心に描く「月輪(がちりん)観」というものがあります。
 月輪は、修行者の菩提心の象徴であり、心の中の月をまん丸に、そして曇り一つなくすることで、自分の心は元来、清浄なものであるとイメージしていきます。
 また、月の光は、煩悩の闇に迷うわれわれを照らして救い出す仏の慈悲の心であるとたとえられる事があります。
 その他にも、占星術に使われたりと、密教にとっても月は欠かせない存在なのです。
 また、九月は、秋分の日を中日として、秋のお彼岸があります。
 お彼岸といえば、曼珠沙華が咲き始め、赤トンボが稲穂の実る田んぼを飛びまわる頃ですね。
 彼岸とは、本来の意味ではあちらの岸へ渡る、つまり、現世の輪廻(りんね)から解脱(げだつ)して、覚り、涅槃(ねはん)の境地へ到達することを意味していますが、一般的には、亡くなった皆さまのご先祖様たちがいらっしゃる場所(あの世、お浄土)として認識されている方も多くいらっしゃいます。
 儒教の思想が影響しているともいわれますが、わたくしたち日本人は、祖霊、先祖を代々、大切に供養してきた民族です。
 彼岸法会(ほうえ)に会われてご法話を聴かれて、お墓や仏壇を清めて、花やおはぎなどをお供えして、ご先祖様に近況報告をされてみてはいかがでしょうか。
 観音院では、九月十三日から二十六日まで、秋彼岸法要を執行いたしております。是非、お寺にお参りになり、ご先祖様のご供養をなさってください。

浄水を供養し、恩に報いる

「逃げ水」という現象は、蜃気楼(しんきろう)の一種で、春の季語ですが、実際には、盛夏の強い日差しを受けた舗装道路で見かけることがよくあります。
 その水たまりを追えども追えども、その都度、遠くのほうに逃げていき、一向にその距離を縮めることはできません。
 仏法を求めて、インドへ旅した玄奘三藏も、灼熱の砂漠でこの逃げ水(オアシス)を見ることがおありだったかもしれません。

 ここ最近、毎年のように、水不足の報道がされています。同様に、大雨による被害も各地でニュースになっています。

 このような気象問題は有史以来、弘法大師の時代にも大きな問題になっていました。
 お大師さまがご誕生になられた讃岐の国(現在の香川県)では、度々、水不足に悩まされ、また、農業用水の設備も整っておらず、そのため満足にお米を生産できずに悩んでいました。民衆を救済するため、弘法大師は満濃池の修築を命ぜられ、修法なされました。

 現在、日本は水源に恵まれています。蛇口を捻れば飲料水が流れ出てきます。水は、ただで手に入るという考えが一般的ですが、他国を見るに、水はガソリンよりも貴重な所もあります。

 インドでは古くより、来賓にはまず水を出して、手や顔などについた埃を洗ってもらうことが「もてなしの作法」とされています。
その接客の作法は、宗教的に高められ、密教の修法(六種供養:ろくしゅくよう)の中にも取り入れられました。
 その際に用いられる水のことを「閼伽(あか)」と呼びます。夜更け頃、水中の生物たちも寝静まり、水が最も澄んで清らかな状態のものを汲みおいて使用します。
 み仏さまをおもてなしするのにも、水は欠かせないものなのです。

 水は、生命を養う上で不可欠な存在です。日本のような四季があり、手軽に水を入手できる環境と、生んでくれた両親に感謝し、その環境を築いてくれた祖先に感謝し、節水に心がけましょう。

「四恩(しおん)」という仏教用語があります。この世に生を受けた人の、誰しもが受ける四つの恩恵、つまり、父母の恩、衆生の恩、国王の恩、三宝の恩のことです。
 父母の恩、これは、文字通り、両親が最初に与えてくれる、自分に命を授け、この世に誕生させてくれたという恩恵です。
 弘法大師空海は、母親が晩年に高野山の麓に移ってこられた際、ひと月のうち九度も山を降りて、母親を訪ねて孝行したそうです。
高野山の麓に「九度山」という地名があるのもその名残です。

「父母に与えられたこの身このまま」で「仏と一体化すること」ができる「即身成仏」の思想は真言宗の教義の根本とするところです。
 弘法大師は四恩の中でも、この身を与えてくれた父母の恩への、感謝の念を格別に抱かれていたのかもしれません。

■盂蘭盆経(うらぼんきょう)に次のような説話があります。

 釈尊の十大弟子の中で、神通第一と称された目連ですが、自分を生んでくれた両親の恩に報いたい一心で、神通力を使って世界を見渡して探したところ、母親が餓鬼道に堕ちているのを発見しました。
 飢えに苦しみ、骨と皮だけになった母親の姿を哀れに思い、目連は釈尊に母親の苦しみを救済する方法を尋ねました。
 釈尊がおっしゃるには、雨安居(うあんご:雨季に僧侶が一箇所に集まり勉強をする会合)が明ける七月十五日の結夏(けちげ)に、僧侶たちが集まって自分たちの行いを懺悔(さんげ)し、亡き親などへの追善を併せて願うので、その際に僧侶たちを供養し、母親が救われるように祈ってもらいなさいとのことでした。
 目連は釈尊の教えのとおりに、僧侶たちに食事や寝床を布施し、彼らに祈ってもらったところ、母親は餓鬼の苦しみから逃れることができたそうです。

 現在でも、旧暦の七月十五日前後(新暦では八月中旬頃)に盂蘭盆会が行われ、ご先祖への追善が各地で祈られています。
 盂蘭盆とは、サンスクリット語の「ウランバナ」の当て字とされ、逆さ吊りにされる苦しみを意味しています。
 苦しみの世界から祖霊を救済するために、僧侶に祈りをささげてもらう仏事として、今の私たちの生活の中にも息づいています。
 一年に一度、お盆の時期には、この世に生を受けさせていただいた祖霊に感謝しましょう。
 皆様も、広島に帰省された際は、是非、観音院で法要にあい、手を合わせて、焼香礼拝し、先祖供養をなさってください。

 さて、四恩の残りの三つの恩に関して。
 まず、衆生の恩。これは、自分の周りの生きとし生けるものすべてから受ける恩恵のことです。
 人は、誰しも一人では生きていくことができないものです。何をするにも他人の協力が必要です。
また、生命を維持していくためには動植物の命を犠牲にしなければなりません。
 困っている人には手を差し伸べる。「慈悲喜捨」の心を常に持とうと努力すれば、どなたもが「菩薩」への歩みをなしているのです。

 次に、国王の恩。これは、本来は生まれてきた国の王様から受ける恩恵です。古代のインドや中国、日本において、王の権限は絶対のものでした。自分たちが平和に暮らしていけるのも、王様が適切に統治してくれているおかげであると思われていました。
 現代の日本では、国家の恩と言い換えてもよいでしょう。
 最後に、「三宝」の恩。これは、仏・法・僧から受ける恩恵です。
僧は「僧伽(和合衆)」で修行者の集まり、仏教の教団を表します。
 わたくしたちが苦しいときは、み仏さまにおすがりすることで心が楽になります。

 仏教の宗教観、「まことの道」「鈴の法話」の教えを学び、生きる基準としての教えをもち、道徳観や倫理観を養うことで、生活に思いやりと安らかな秩序がもたらされることでしょう。
 また、僧侶の法話を聞いたり、荘厳な法要に会うことで心が清め動かされ、生きる活力を得ることができましょう。あるいは、幼い時から父母とともにお寺に参拝して厳粛な雰囲気を味わう。
 そういった仏教的な様々な恩恵は、日本の風土に根付いており、無意識の内にも、誰しもが受けているものです。

 四恩に報いるという「感謝」の気持ちを持ち、日々過ごすことで、度を越した欲に心を悩まされることもなくなってくることでしょう。
それが、太古より伝えられてきた仏教の智慧なのです。

 まだまだ暑さは続くと思いますが、皆さまにおかれましても、適時、水分補給をされて、熱中症や脱水症状にならないようにお気をつけください。
 また、お盆の時期には、仏前やお墓にお水を供え、先祖への感謝の気持ちをあらわされてはいかがでしょうか。 合掌九拝

発心即菩提、志すことが大切

早いもので、今年も残すところあと半年になりました。
 去年の夏は、猛暑で体調を崩されたり、大雨や台風などで被害に遭われた方も多かったことと思います。病気や災害は避けられないものですが、日頃の心がけ次第で被害を少なくすることはできます。
防災対策、体調管理は日々計画して意識していくことが大切です。

 さて、七月に行われる仏事に関して、関東では盂蘭盆会(うらぼんえ)をするところもあります。
観音院では七夕際を執行し、引き続き、お盆の法要を執行します。
先祖供養、有縁無縁の精霊供養の法要が丁重に執行されます。
 七夕祭には毎年、多くのご信徒さまが、所願成就(じょうじゅ)を祈念され、五色の短冊に願い事を書かれてお参りされます。皆さまも、是非ご参拝なさってください。
 ところで、七夕について。
「天の川」に別たれた織姫と彦星(又は、牽牛:けんぎゅう)が、年に一度だけ逢うことを許された日、ということは多くの人がご存知だと思います。
 さて、それでは、二人はどのようにして広大な天の川の岸を渡ることができたのでしょうか。
 百人一首の中に、その答えを見ることができます。

かささぎの渡せる橋におく霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける
 これは、弘法大師空海が活躍されていた頃の、奈良時代の歌人、大伴家持(おおとものやかもち)が七夕について歌った一首です。
 翼を広げて、天の川を渡るための橋になってくれたカササギのおかげで、二人は逢瀬をたのしむことができたのでした。
 カササギとは、カラス科の鳥類で、中国では、縁起の良い鳥、縁結びの鳥として大変愛されているそうです。

 橋を渡る、岸を渡る、という比喩(ひゆ)は、よく仏教では用いられます。
 此岸(しがん)から「彼岸」へ渡ること、すなわち、わたくしたちが今いるこの世界から、涅槃(ねはん)の世界へ渡ることです。
渡るための船が「仏教の教え」とたとえられています。
 涅槃という言葉は、一般には死後の世界と思われがちですが、実際には、輪廻転生から解脱した、悟りの境地という意味で、仏道の修行者が到達する最終的な目標といえます。
 さて、同様に、生死(しょうじ)の苦海を渡り、迷いの世界から目覚めて彼岸に渡ること、輪廻(りんね)の流れを渡ること、という意味を持つ言葉に、得度(とくど)があります。
 一般には誓願して仏門に入ること、出家のことをいいます。
 真言宗でも、伝法灌頂を受ける前には、得度、受戒、加行を済ませなければなりません。
 得度とは、律令体制下の古代中国において作られた言葉で、出家することを許された僧侶が僧籍に入ることを意味します。
 インドでは、出家の際に国王に許可を得ることはありませんでしたが、中国に仏教がもたらされた当時、すでに中国では儒教等の高度な文明が存在し、中央集権の体制の下で国家が宗教を管理していました。したがって、僧侶を志した者も、正式の僧侶になるためには国家の許しが必要だったのです。
 中国の文明の影響を多分に受けた日本でも、僧侶になるためには朝廷の許可が必要だったのです。
 弘法大師が生まれた平安時代、都には南都六宗(なんとろくしゅう)とよばれる仏教の宗派が存在しました。すなわち、法相(ほっそう)・三論(さんろん)・華厳(けごん)・律・成実(じょうじつ)・倶舎(くしゃ)の六宗ですが、これらの各宗派から、毎年、人数を定めて試験をして、所定の学問を学ばせたものにのみ、得度を許しました。このことを「年分度者(ねんぶんどしゃ)」の制度といいます。
 しかし、実際には、朝廷の管轄外で僧侶になる修行者も多く出現しました。年分度者に選ばれた僧侶を官僧と呼ぶのに対し、彼らは私度僧(しどそう)と呼ばれ、役人たちは彼らの取締りにおわれていたそうです。
 私度僧には、朝廷に課せられた雑役や納税から免れるために世捨て人になったものもいましたが、中には、民衆の中に生活し苦楽を共にし民衆のために橋を作ったり、仏像を作ったり、供養をしたりする「聖」もいました。
 上求菩提(じょうぐぼだい)・下化衆生(げけしゅじょう)は、仏法修行者の根本とするところですが、平安期の私度僧の中にも、その尊い姿が垣間見れます。その代表といえるべき人物に行基(ぎょうき)がいます。最初は、彼の行動を疎んじていた朝廷も、後に彼を認めて、東大寺の大仏造営の勧進役に起用しました。

 宗祖弘法大師も、大学在学中に求聞持法(ぐもんじのほう)に出会ってから仏教への思いが強まり、修行僧となって山野を行脚され、瞑想を行われたといわれています。
正式に朝廷の下で得度したのは、諸説ありますが、二十歳の時というのが通説です。あるいは、遣唐使になるためにぎりぎりになって三十一歳の時に得度したという説もあります。
 仏道の精神からいえば、本来なら官僧でも私度僧でも関係はないのかもしれません。日々の生活を律し、人々のために役立つ行いを積み重ねることが、行者のあるべき姿であると思います。
流転三界中 恩愛不能断
棄恩入無為 真実報恩者
 (るてんさんがいちゅう 
  おんあい ふのうだん 
  きおんにゅうむい
  しんじつほうおんしゃ)
 この偈文は、得度式の際にとなえるものです。現世への未練を断ち切り、出家して仏道に精進し、恩を受けた人に報いなさい、という内容ですが、同様に葬儀のときにも用いられます。
 出家者、あるいは亡くなられた方の頭に剃刀を三度当てて、導師はこの偈を誦ずるのです。

 観音院では、世の中の人のために尽力される聖を育てるために、僧侶養成講座を開講しております。
広島道場はもちろん、東京道場でも開催しております。仏道を修めたい方、仏様と縁を結ばれたい方は是非、観音院で得度式をお受けください。職員一同、心よりお待ちしております。