ソクラテス(4)人生の目的

アリス
最近よく考えるんだよね。
テレス
何についてじゃ。
アリス
生きるっていったいどういうことなのか、とか。自分は何のために生きているのか、とかね。考えれば考えるほどわからなくなるんだよ。ソクラテスも人生について語っているよね。
テレス
そうじゃ。君も一人前に哲学しとるんじゃのう。
アリス
別に哲学というほど深いものじゃないと思うけれど。
テレス
人生に目的をもたなくても生きていくのには特に支障はないと思うが、生きる目的が気になりだしたら生きていくのに支障がでることは多々あるはずじゃ。
アリス
僕の問題は決して哲学的なんかじゃないはずだよ。だだ、悩んでいるだけなんだ。でもね、結構深刻なんだよ。
テレス
そうか。人生に対する哲学的な問いは、生きることの根本を直視することを強いるので危険で残酷でもあるんじゃよ。君も自転車に乗ると思うが、深く考えなくても自転車を運転することができるのう。ところが、なぜ倒れないで走ることができるのか。どうしてカーブで転倒しないで曲がれるのかを深く考え始めると自転車を安全に運転する余裕がなくなるじゃろうが。人生の目的を深く考えることは、それと似たようなもんじゃから、あまり深入りしてもらいたくはないんじゃよ。あるマラソン選手は「なぜ、自分は走るのか。」を突き詰めて考えはじめたら走ることができなくなった。実際に大半の人は「山があるから山に登る」的な行動原理に従って生きている。そして、あえて目的については触れようとしないし、触れられたくないと思っている。気にならなければ無視すればいいが、気になってしかたがなければとことん突き詰めて考えることも決して無駄ではない。考え抜いた結果、まったくわからなければ、それは結論として十分に通用する。有名な哲学者もお釈迦様もわからないことは、わからないと明言しているからな。「無知の知」で話したように、わからないことはわからないとして認識しておくほうが賢明なんじやよ。適当なところでごまかしたり、妥協したのでは哲学したとはいえん。頭が痺れるぐらい考え抜いたなら、それは十分哲学になっておる。中途半端なところで考えることをやめにして虚無主義や懐疑主義に陥らないことをわしは望むがのう。もし、何かが掴めたら儲けもんじゃよ。
アリス
そうなんだよね。悩んでいるはずなのに、適当なところでごまかしたくなるんだな。でもね僕の疑問は素朴なものなのに結論が出ないんだよ。
テレス
「素朴」イコール「簡単」とは限らない。素朴な問いは以外にも答えるのが難しいんじゃよ。素朴な質問はものごとの本質を問う場合が多いからな。哲学や倫理学の問題のほとんどは素朴な疑問から出発しておる。次の例を考えるとわかり易いじゃろう。最近、マスコミなどで取り上げられている「なぜ、人を殺してはいけないか」とか「なぜ、勉強しなければならないのか」という子供から大人への問いがある。これに対する答えはほとんどの人にとっては常識的かつ自明であり、あらためて答える必要はない。あえて誰かに質問するなら、その人は変人扱いされるはずじゃ。常識的、宗教的には問う必要が無いと一蹴されるはずじゃよ。しかし、実際に論理的に説明することは難しい。哲学的な立場では、単に常識だからというのは十分な答えにはならないということじゃよ。その場合、常識の正当性、妥当性を検証する必要が生じてくるからのう。
アリス
そういえばそうだな。常識は正しいものとして無意識的に受け入れているよね。
テレス
重要なことだが、合理的に説明できないからといって、人を殺すことや勉強しないでいいということが無条件で正当化されるわけではない。この点を誤解しないでほしい。
アリス
もちろん、わかってるよ。
テレス
素朴な疑問でさえ、いざ論理的に説明するとなると極めて難しい。いや、素朴な質問だからこそ逆に難しいのじゃろう。まあこの例については暇なときにでも考えてみるといい。
アリス
じっくり考えてみる価値はあるね。
テレス
カントやヘーゲルの壮大な思想体系でも根本的な問題は素朴なものじゃ。彼らが偉大なのは、素朴な疑問を解決するために、深遠で緻密な思想体系を構築してきたからじゃよ。哲学的な問いに関していえば、素朴で簡単そうな質問ほど万人を十分に納得させる答えがでてこないんじゃよ。
アリス
じゃあ、素朴で、子供がするような疑問を持つことは間違っていないんだね。
テレス
子供じみているとか、大人の考え方だという考え方は捨てたほうがいい。むしろ子供の視点からの発想の方がものごとの核心を突いているものが多い。もちろん大人の考え方も重要じゃ。処世には不可欠じゃからのう。大人の考え方や視点というのは、よく言えば、常識や良識に基づいたものかもしれん。しかし、それらのみに囚われた考え方は問題じゃ。常識や良識の枠内だけでおこなわれる思考では新しいことは見えてこない。固定観念を取り払うことが必要じゃ。ある特定のものの見方に執着すれば問題を解決から遠ざけるだけじゃよ。今までのものの見方を捨て去るという意味ではない。自分を支配している考え方から離れ、今までとは異なった視点から眺めてみるということじゃ。特に真理の探究ということに関していえることは、自明のこととみなされていることをあえて考え直してみる必要があるんじゃ。
アリス
離れた視点からものごと眺めるとはどういうことなの。
テレス
自転している地球を地球の外から眺めている自分をイメージするとよかろう。自分の周りが回っているという見方だけでなく自分が回っているという見方を持つということじゃよ。そうすることによって、新たな考え方が浮かんでくるはずじゃよ・・・
アリス
なるほど。
テレス
一つの考え方に固執するのではなく、相対的に客観的にものごとを理解しようとする姿勢が大切じゃ。このことは哲学や科学に当てはまるだけではない。もちろん、日常的な問題の解決にも適応できる。同じ考え方を活用することもできる。ただ、世の中を上手く渡っていくことや富や名誉を手に入れることと真理を探究することはほとんど関係ない。真理を悟ったからといって金持ちになることが保証されているわけではないし、真理が何であるかを知らなくても明日の売上に大きく影響を与えるわけでもないからな。
アリス
ところでソクラテスの話の結論はどうなったの。
テレス
そうじゃたのう。忘れておった。

ソクラテス(3)無知の知

   

   

   

アリス

   

テレス、年末のテストに合格したよ。ほんと命拾いしたよ。

   

テレス

   

そうか。よかったのう。わしも安心したぞ。

   

アリス

   

新春のお寺参りをして、住職さんのお祓いも受けたし、自分の部屋には萬倍だるまもお祀りしたし、もう完璧だよね。

   

テレス

   

あとは学業に専念するだけじゃのう。

   

アリス

   

そうなんだよ。でもそれが一番難しいんだよね。

   

テレス

   

まあよかろう。ソクラテスの話の続きにするかのう。

   

アリス

   

ねえ、「無知の知」っていったいどういう意味なの。

   

テレス

   

ソクラテスの哲学では、「無知の知」はとても重要な概念なんじゃよ。なぜかというと、ソクラテスが「無知の知」を悟ったのち、自分の使命に気づき、哲学者として残りの人生を捧げることになったんじゃからのう。

   

アリス

   

そうなんだ。

   

テレス

   

それは、ソクラテスが四十歳の頃の出来事じゃ。彼の友人のカイレポンがアポロン神に「ソクラテスにまさる知者はいるか」と訊ねた。すると「ソクラテスにまさる知者はいない」というお告げを受けた。この出来事はデルポイの神託と呼ばれる。これを聞いたカイレポンは、早速ソクラテスに伝えた。

   

アリス

   

ソクラテスはアポロン神に認められたのでよろこんだの。

   

テレス

   

ソクラテスはそんなことで満足する世俗の人々とは違っておった。むしろ否定的じゃた。

   

アリス

   

さすが大哲学者だね。

   

テレス

   

ソクラテスは自分がアポロン神に認められるほどの知者とはまったく思っていなかった。当然、その神託に疑問を抱いた。どうして私なのか、何かの間違いではないか、と真剣に考えたんじゃ。

   

アリス

   

謙虚な人だね。でも、古代ギリシャ時代で神からのお告げに疑問を挟むとは驚きだよ。

   

テレス

   

ソクラテスは自分が知恵のある者でないこと知っているから、神託で示された言葉の本当の意味を考え続けたんじゃ。

   

アリス

   

ソクラテスの理解不足か、神託が誤っているかのどちらかだものね。アポロン神が示したことを盲目的に信じていれば深く考える必要がなかったのにね。

   

テレス

   

そこが凡人と哲人の違いじゃよ。

   

アリス

   

じゃあ、いったいどうやってデルポイの神託が誤っていることを証明しようとしたの。

   

テレス

   

証明の方法はこうじゃ。神託は「ソクラテスにまさる知者はいない」とある。つまり、ソクラテスが一番の知者というこじゃな。これが誤りであるということを示すにはどうすればいいかのう。

   

アリス

   

ソクラテスより知恵のある者を一人以上探し出すならば、神託は偽ということになるね。

   

テレス

   

そのとおりじゃ。世間で評判の高い知者とみなされている人を訪ね、そこで問答を交わし、ソクラテスより優れていることがわかれば、神託は反駁されたことになる。

   

アリス

   

世間で知者といわれる人達との問答はどうだったの。

   

テレス
結論からいえば、デルポイの神託は正しかったことになる。具体的に誰と問答をしたかは述べられていないが、一人目は有名な政治家だったらしい。

   

アリス

   

どのようにソクラテスは思ったの。

   

テレス

   

率直にソクラテスはこの政治家より自分の方が知恵があると思ったようじゃ。

   

アリス

   

相手は有名な政治家なのに。多分、博学だったはずだよ。

   

テレス

   

権力や肩書きと知恵のある人間かどうかは全く別のことじゃ。社会的に地位が高い人が常に優れた智慧に基づいて正しいことをするとは限らんじゃろうが。最近の政界や官僚のスキャンダルをみれば明らかじゃ。社会的に地位の高い人は高い倫理性を求められるが、必ずしも地位に見合うだけの倫理性があるとはいえん。政治家としての能力や知識量の評価ではなく、知者として、賢者として妥当かどうかの問題じゃ。ごちゃまぜにして考えてはいかんぞ。

   

アリス

   

うん、わかった。それで。

   

テレス

   

その政治家は、世間一般に知恵のある人物と思われている。そして、自分自身でもそう思い込んでいる。

   

アリス

   

しかし、ソクラテスはそうは思わなかったんだよね。

   

テレス

   

そのとおりじゃ。ソクラテスは、その政治家と別れて帰る途中に考えた。そして、ソクラテスの方がこの政治家よりも知恵があると結論づけた。

   

アリス

   

どうしてなの。

   

テレス

   

おそらくこの政治家は政治に関する知識は豊富なはずじゃ。そして、いかに自分が教養ある人物であるかを披露したのじゃろう。

   

アリス

   

だったら、この政治家は知者とはいえないの。少なくともソクラテスより政治についての知識はあるはずだよ。

   

テレス

   

それは専門知識の量についてのことじゃろうが。ここでの知恵とは、人間に普遍的な知のことじゃ。つまり、人生の意味とか、善さとか正しさ、美しさについての倫理的な知恵のことじゃよ。

   

アリス

   

じゃあ、この政治家は真善美について何も知らなくて、ソクラテスのみが本当のことを知っているということになるの。

   

テレス

   

そういう意味ではない。ソクラテス自身もこの政治家と同様何も知らないと考えている。ただ、両者の一番の違いは、自分が知らないということに気がついているかどうかなんじゃ。この政治家は知らないのに何かを知っているように思っている。一方、ソクラテスは、知らないから当然知らないと思っている。この認識の違いがデルポイの神託が意味することじゃよ。このあと、別の著名人達にも会いに行ったが、結果は同じことじゃった。つまり、膨大な専門的技能的知識をもっている人が知者ではなく、自分は知恵に対して何の値打ちもないということを知っている人が本当に知恵のある人間ということなんじゃよ。

   

アリス

   

どの点が重要なのか、よくわからないなあ。

   

テレス

   

人間の判断は自己中心的で、狭い視野でなされやすいものじゃ。欲望や煩悩によって認識や判断が歪められる恐れがつねにある。「無知の知」は、人間が持っている知恵は取るに足らないもので、いわば無知であることを認めて、謙虚に本当の知恵を求めて生きていかなければならないことをわしらに教えてくれている、と理解すればいいじゃろう。

   

アリス

   

じゃあ「無知の知」の認識はどうすれば得られるの。

   

テレス

   

そもそも暗記できるものではないし、他人から与えられるものでもない。自らが自覚して求めることによってのみ得られる。

   

アリス

   

まさに悟りへの道だね。僕にはそのための修行は到底無理だよ。既に不勉強でテストを受けて「無知の恥」を嫌というほど悟ったからもう十分だよね。

   

テレス

   

そんな悟りとは。とほほ……

   

   

新年特別編:暦談義

アリス
今日から新年が始まるね。何だかうれしいなあ。
テレス
新年早々からうれしいと思えるのはいいことじゃよ。何か目標を立てて有意義に一年を過ごすよう心がけるとよい。ところで先月の試験の結果はどうじゃ?
アリス
人事を尽くして天命を待つ、って心境かな。友人にノートを借りてひたすら丸暗記したよ。こんなんじゃ実力はつかないけどね。まあ、結果は正月休み明けにわかるよ。
テレス
これからは地道に勉強することじゃ。
アリス
うん。一年の計は元旦にあり、といわれるからね。だから、今年は試験のあるなしにかかわらずまじめに勉強することを誓うよ。
テレス
いい心がけじゃ。よっぽど年末の試験が骨身に堪えたんじゃのう。
アリス
あんなのはもう懲り懲りだよ。まあ、今日から二十一世紀だね。気持ちを入れ直すよ。
テレス
新世紀早々いきなりじゃが、ちょっと暦について話をさせてくれ。今日一月一日から二十一世紀が始まるが、これは単なる暦の上での取り決めに過ぎんということを知っておるのう?
アリス
今日は元旦。世界中の誰にとっても二〇〇一年だよ。いったいそれってどういう意味なの?
テレス
君は暦上の年月日を誰にとっても当てはまる普遍的な事実と思っているようじゃが、暦なんてそもそも人間が都合がいいように作っているものに過ぎないんじゃ。西暦という暦もある一定の規則に従って年月日を数えているだけなんじゃよ。
アリス
でも、今年は二〇〇一年というのは確かな事実だよ。
テレス
わかっとらんのう。では、元号で言えば何年じゃ?
アリス
もちろん平成十三年だよ。
テレス
西暦から離れて考えてみるんじゃ。
アリス
あっ、なるほど。わかったよ。暦は単なる取決めごと、普遍的じゃないということだね。
テレス
そのとおりじゃ。暦は時の流れに絶対的な意味や価値を与えるものでない。ある基点となる時間から一定のルールを当てはめる。いわば、時間の流れを簡便に具体的に扱うための指標なんじゃ。わしらはその便宜的な指標に、意味や価値を付け加えているんじゃよ。  新世紀を祝う一方で、このことも覚えておいてほしいんじゃ。
アリス
わかったよ。
テレス
もちろん西暦は現代で最もグローバルスタンダード化した暦といえる。君も知っておるとは思うが、西暦はキリストが誕生したとされる年を元年にしてそこから数え始めた。十六世紀途中で、ユリウス暦(旧暦)から現在のグレゴリオ暦(新暦)に移行したということじゃ。
アリス
そうなんだ。そうそう日本には皇紀という暦があるよね。
テレス
よく知っておるのう。今年は皇紀二六六一年。皇紀は初代の神武天皇即位の年を元年として数え始めた。昭和十六年じゃったかのう、皇紀二六〇〇年を記念して日本中が祝福したのは。
アリス
もちろん佛暦もあるよね。
テレス
当然じゃよ。佛教は世界三大宗教の一つじゃからのう。佛暦はお釈迦様の没年から始まっておる。
アリス
いったい今年は佛暦何年になるの?
テレス
今年は、二五四三年じゃ。
アリス
西暦よりずっと長いんだね。今でも使われているの。
テレス
現在でもタイでは正式に使われておる。
アリス
じゃあ、イスラム暦では?
テレス
西暦二〇〇一年はイスラム暦では一四二一年になる。ちなみにチベット暦では二一二七年、バリのシャカ暦では、一九二二年。なんとユダヤ暦では、五七六一年じゃ。他にもあるがこのあたりでやめておこう。
アリス
へーっ、知らなかった。
テレス
これは大切なことじゃが、どの暦が正統で、どの暦が正しくないとは決していえない。というのは、暦は宗教的、政治的な理由で作成され、利用されるからじゃ。純粋に天体観測の成果から作られるものではない。だから、西暦だけが絶対的に優れた暦とはいえない。宗教的、政治的理由で多くの国で採用されたというわけじゃ。世界中で同じ暦が用いられると便利じゃけどのう。今では経済、交通、通信などが全世界的なつながりをもっている。貿易の決済日や国際線の予約、国際間の交渉などで、各国がそれぞれの国の暦を使うと誤解や混乱が生じる。例えば、A国のA暦の一九八〇年三月六日が、B国のB暦の四五二七年七月二五日になる場合もあり得るからのう。今現在で西暦が世界の多くの国で使われるのは、利便性を考慮してのことじゃろう。もちろん、暦は地域性や宗教や文化を反映しているので、二本立てでも、三本立てでもかまわんと思う。利便性だけで暦を一元化することは、その国の宗教や文化を否定することにもつながる。暦は先人の知恵と努力の結集であることを忘れてはいかん。いずれにせよ現代社会では暦なしの生活は不便極まりないからのう。利便性と文化や伝統の尊重を考慮して、日常生活が豊かになるようにうまく使い分けるほうがいい。
アリス
そうだね。
テレス
長い人生、暦の大きな節目でお祭り騒ぎをするのもよかろう。しかし、大切なことは、暦で、何年になったかを気にするのではなく、この年を、今をいかに生きるかを考えることじゃ。年の変わり目ごとに、これまでの自分の行動や言動を謙虚に見直してみるといい。改めるところがあれば改め、よいと思えることは継続すればいい。心配事や悩み事があればお寺で相談にのってもらうこともできる。気にかかることがあるなら、供養やお祓いをしてもらえば精神的にも楽になるはずじゃ。年越しさせる必要がないものまで年越しさせてはならんぞ。日々の生活の区切りとして、新年、新世紀をスタートすべきじゃよ。注意することは、前の一年を反省もしないで、惰性で日常生活を続けることじゃ。これでは自己の向上なんてありえないし、世の中のために役に立つことも難しいと思う。要するに、今年がどんな年になるかを不安に思い心配するよりも、今年をいい年にしようと地道に努力することのほうがずっと大切じゃよ。
アリス
そのとおりだよ。
テレス
いつの時代でも、どんな場所でも、誠実さ、勤勉さ、思いやりや優しさなどの道徳規範は必要とされるし、幸せな人生のために不可欠な要素じゃ。正月休みの間に少し考えてみるといい。
アリス
うん、そうするよ。気分を一新し、いい一年が過ごせるように、早速お寺にお参りに行くことにしよう。ありがとう。じゃあ、またね。
テレス
お~い。わしもお寺に連れて行ってくれ~。

ソクラテス(2)「よく生きる」とは?

アリス
ああ、忙しいな。テレスはいつも暇そうでいいな。羨(うらや)ましいよ。
テレス
いったいどうしたんじゃ。
アリス
大事な試験まであと三日しかないんだよ。あーあ、クリスマスも正月もあったもんじゃないよ。どうにかならないかなあ。

    

テレス
そうか、大変じゃな。けれど、安心しろ。なんとかする秘策が二つもある。どっちを選ぶかは君次第じゃよ。
アリス
本当!もったいぶらずに早くおしえてよ。
テレス
一つは、あと三日間は寝る間も惜しんで、とにかくひたすら勉強することじゃ。人事を尽くして天命を待つ、ということじゃ。
アリス
なあんだ。それができれば苦労しないよ。
テレス
それからもう一つは、どういう結果になろうと気にしないことじゃよ。すべてはなるべくしてそうなった、と受け入れることじゃ。元はといえば日頃の怠慢さの結果なのじゃから。
アリス
そんなこと言われるとやる気なくなっちゃうな。だけど今回の試験は、次がないくらい大事な試験なんだよ。
テレス
どうして次がないんじゃ。
アリス
この試験に僕の将来がかかってるんだよ。僕にとって最後の試験といってもいいくらいだよ。
テレス
では聞くが、どうして君はそんなにいい成績を取りたいんじゃ?
アリス
え?どうしてそんなこときくの?そんなの当たり前じゃな い。いい会社に就職するため。当然のことだよ。
テレス
何のためにいい会社で働きたいんじゃ?
アリス
いい給料がもらるし、社会的にもエリートとして認められるし、将来も安心だから。まあ、最近はどうなるか分からない世の中だけどね。
テレス
どうして人より多くの給料が欲しくて、エリートと認められたいんじゃ? 明日のことも確かなことは何も言えんのに、数十年先までの安心なんてそもそも得られると本気で思っているんか?
アリス
派手な生活とまではいかなくても、いい生活をしたいというのは、誰だって望むはずだよ。
テレス
やれやれ、君は欲深いのう。まあ、いい。で、いい生活ができたら何かいいことがあるんかい?
アリス
いい生活ができれば、当然それが幸せだよ。
テレス
どうしてそれが幸せだと確信をもっていえるんじゃ?
アリス
えっ。みんなそう思っているはずだよ。みんなそれを目標にして生きているんじゃないの?

       

テレス
つまりそれが人生の最終目的というわけじゃな?要するに、いい生活をしている人、つまり、優雅に人生を送れるようになった人は、必ず幸せということじゃな?
アリス
おそらくそうじゃないかなあ。でも、よく考えてみると何だか少し違うような気もするけれど。いざ考えてみるとよくわからないなあ。
テレス
いや、悪気はない。君が当然のごとくわしの問いに答えるもんじゃから、ちょっと深く追求しただけじゃよ。すまんのう
アリス
でも、人生の目的なんて深く考えたことはなかったなあ。僕らは一体何のために生きてるのかな。ちょっと考えてみたくなったよ。親や学校の先生に教えられたことに疑問をもたず当たり前のこととして、自分の生き方をつくってきたような気がしてきたよ。
テレス
人間はいかに生きるべきか、ということは、今さら考え直すまでもないように思われるかもしれん。しかし、あらためて問い直してみると、いかに答えるのが難しい問いであるかがわかるじゃろうが。実は、このことを哲学者ではじめて問題にしたのが、ソクラテスなんじゃよ。ちなみにわしが君に問いつづけたような問答の方法を「産婆法」と言うんじゃ。少なくとも今まで考えたこともなかった問題が生まれたじゃろうが。
アリス
うん、確かに。ああやって突き詰めて考えていくと、自分の考え方の浅はかさを自覚したよ。ところで、どうして「産婆法」っていうの?

          

テレス
答えを教えるのではなく、自発的に疑問が生まれてくるように相手を仕向けるからじゃよ。
アリス
そうなんだ。
テレス
ソクラテス以前の哲学者は、万物の根源は何か、自然とは何か、といったことに関心を持つていた。ところが、ソクラテスは人間に目を向け、「よく生きる」ということはいったいどういうことかを探求し続けたんじゃよ。
アリス
そうだね。自然哲学者は、どちらかというと科学者の元祖のようだったね。ソフィストは、関心を人間や社会に向けて、弁論術や処世術を説き、相対主義を標榜し「人間とは何か」というような、人間の在り方についての問いには触れようとはしなかったんだよね。
テレス
そのとおりじゃ。言い換えれば、ソクラテスによって、哲学は対象を「人間として生きる意味」に向けられた。つまり、哲学が倫理的価値について考えるようになったということじゃ。
アリス
倫理的価値?
テレス
要するに「よく生きるとは何か」ということじゃ。

       

アリス
よく生きるかあ。ソクラテスは「よく生きる」ということについてはどんな風に考えたの?
テレス
まあ、結論ばかり急ぐもんじゃない。大事なのはその結論に至るまでの過程なんじゃ。自分でよく考えることじゃ。それこそ哲学的な態度といえるんじゃ。
アリス
そうかあ、そうだったね。
テレス
結局ソクラテスは、よくいきるためには魂、いわば精神をできるだけ優れたものにするということを真剣に考えるべきだと主張したんじゃ。このことを無視して、魂への配慮以上に、金銭や名誉のことを気にしてはいけないというわけじゃ。なぜなら、いくら金銭を積んでも、そこから優れた精神が生じるわけではないからじゃ。ソクラテスは、金銭や評判や地位のことばかり気にかけて、思慮深さや真実のことは気にかけていないアテナイの市民を憂いたんじゃ。
アリス
紀元前5世紀の頃も今も大衆の関心は同じってことだね。
テレス
よい精神を保ち、よく生きるためには、真・善・美や正・不正について正しく知ろうと努力することが重要なんじゃ。ただ生きるのではなくよく生きようとすることが大切なんじゃよ。ソクラテスはそのことを皆に気づかせようとしたんじゃよ。
アリス
ソクラテスの偉大さがよく分かったよ。さて、僕ちょっと電話してこなくちゃ。
テレス
どこにかけるんじゃ?
アリス
成績優秀なクラスの友達に今度のテストのポイントを教えてもらおうと思って。やっぱり、僕には僕の力を引き出してくれる産婆的な友人が必要だって気づいたんだよ。じゃあね。
テレス
やれやれ……

ソクラテス(1)ソクラテスの生涯

テレス
さて、ソフィストの話はそれくらいにして、話を先に進めようかのう。
アリス
ギリシア哲学の真打といえば、あのソクラテスだね。
テレス
そのとおりじゃ。ソクラテスは西洋哲学史のなかで最も重要な人物の一人じゃよ。

    

アリス
西洋哲学のさまざまな流派の祖とみなされている人物だよね。
テレス
そうじゃ。彼は紀元前四七〇年頃にギリシアのアテナイで生まれている。父は彫刻師、母は助産婦じゃったらしい。ソクラテスの子供時代についてはほとんど知られていないが、青年時代には、自然哲学の研究や父の仕事の手伝いをしとったらしい。それ以外には、戦争に行ったということぐらいじゃな。スパルタとのペロポネソス戦争に三度も出征したということじゃ。容姿については、決してハンサムといえる男ではなかったらしい。歴史の教科書に彫刻が載っとるかもしれんから見てみるといい。
アリス
それなら見たことあるよ。ごつい感じの人だよね。だけど歴史に残る人っていうのは、やっぱりそれなりの理由があるんだろうね。
テレス
ソクラテスはいかにして「よく生きる」かということを真剣に考えた。そうして自分の人生の後半を、アテナイの人々の道徳意識の向上に捧げたんじゃ。彼は純粋無垢で思慮深く、その考え方や人間性は多くの若者を魅きつけたということじゃ。そうそう、結婚もとった。クサンチッペという女性とじゃよ。残念ながら結婚生活は恵まれたものではなかったようじゃ。若者を相手に議論で一日の大半を過ごしているソクラテスは、奥さんにとっては、悩みの種だったかもしれんな。
アリス
難しいところだね。ソクラテスといえども生活していかなくちゃいけないもんね。
テレス
まあ当時は奴隷制度が主流だったため、今の時代とはまた状況は違っておったじゃろう。ところで、彼の行動は当時の権力者たちにとって目障りだったため、「従来の神々を認めず、おかしな議論で青年を堕落させた」という罪を着せられ、投獄されてしまった。裁判でもソクラテスの主張は理解されず、ついに死刑判決を受けたんじゃ。親友たちは脱獄を勧めたが、例え不正に対してであれ決して不正で報いてはいけないという自らの倫理観に従い、ソクラテスは死刑を受けいれたんじゃ。「悪法も法なり」ということじゃな。こうして紀元前三九九年、今からおよそ二四〇〇年前にソクラテスは七〇年の生涯を閉じた。
アリス
何だかすごいね。僕だったら死刑なんて納得できないよ。どうにかして命乞いか脱獄しようとするけどね。ところで、ソクラテスの哲学はどんな内容なの?
テレス
全体的にソクラテスの人生や思想は謎めいておる。
アリス
どうして?ソクラテスが残した著作はないの?
テレス
残念ながらそうなんじゃ。ソクラテスは著作を一冊も残していないんじゃ。わしらが知ることができるソクラテスは、主に弟子のプラトンによって描き出されたものなんじゃよ。プラトンが師ソクラテスに出会ったのは二〇歳のころで、ソクラテスは六〇歳前じゃよ。プラトンは師との直接的な対話から多くを学び、師を自分の著作に登場させることで師の思想を後世に伝えたんじゃ。
アリス
孔子とその弟子たちの関係に似ているね。孔子の教えは「子曰く、…」と彼の弟子たちが残したものだったね。
テレス
佛教にしてもキリスト教にしても同じことじゃよ。仏陀自身がお経を残したわけでもないし、ましてや、イエス自身が聖書を書いたわけではない。仏教の経典の多くは仏陀の入寂後何百年かを経て編纂されたものじゃから、仏陀の存命中に経典は存在しなかった。いずれにしても、師の卓越した人格のすばらしさが、弟子にインスピレーションを与え、筆を執らせたことは確かじゃのう。
アリス
ソクラテスの弟子プラトンも、哲学史に名を残している人だよね。だけどプラトンの哲学も、ソクラテスの影響なしには語れないね。
テレス
プラトンは「対話篇」と呼ばれるシリーズものをたくさん書き残しておる。対話形式をとったのは、師ソクラテスの議論の方法にならったのかもしれん。じゃが、プラトンの著作の中に登場するソクラテスの言動は、実際にソクラテスが行ったものかどうかははっきり分からん。もちろんプラトンはソクラテスの直弟子だから、ソクラテスのことをよく理解していたとは思う。しかし、プラトン自身の思想をソクラテスに代弁させているところもあるかもしれんのじゃ。実際のところ、ソクラテスの思想とプラトンの思想を分けることは困難なことなんじゃ。
アリス
でも、なぜソクラテスがそれまでの哲学者を超えた偉大な存在になったかよくわからないなあ。僕だって、ソクラテスは偉大な哲学者というのを本で読んだから、偉大なんだなあと思っているに過ぎないよ。一体なにがソクラテスを偉大な哲学者にたらしめたの?
テレス
ソクラテスの具体的な思想については、また次の機会に詳しく触れることにしよう。君のように、その評判が本当に正しいのかということを、自分なりに考えてみるのはいいことじゃ。風評や流行に惑わされないよう、物事の本質を突き詰め自分で考え、判断することは大切じゃ。突き詰めて考えることは結構大変なことじゃよ。しかし、何も考えずみんなについていって、あとになって、しまったとか騙されたと思わなくて済む。人気なら多数決で決まるが、物事の良し悪しは多数決のみで決まるものではないからな。
アリス
突き詰めて考える、かあ。えーっと、ソクラテスは偉大な哲学者といわれているが、それはなぜか?どういう点が偉大なのか? 本当に偉大なのか?その前にプラトンの書き残したソクラテス像に信憑性はあるんだろうか?待てよ…そもそもソクラテスという人物は実在したんだろうか?プラトンという人が実在したことは確かなんだろうけど。まあ、とりあえず、プラトンの対話篇を読んでみようかな?でも対話篇も本当にプラトン自身が書いたのかな?あ、そうか…分かったぞ。やっぱり物事は突き詰めて考えるにこしたことはないね。
テレス
で、結論の方はどうなったんじゃ。
アリス
自分なりに考えてみたよ。やっぱり、本人に直接聞くのが一番ってことだね。
テレス
本人って、もしやソクラテスのことかな。
アリス
もちろん。すべてはそこから始まるよね。
テレス
そんな無茶な……