ご供養は情を込めて

■ご供養が気にかかる時、不運が重なって供養が思い出される時、事情があって両親の供養をきちんとできていない、親族で不遇のまま亡くなり供養されていない人がある、水子さんのご供養が心配なとき、幼くして亡くなった子供の供養が十分にできていない—-、どなたにも不十分な気掛かりなご供養があります。

■有縁(うえん)精霊(しょうりょう)とは、仏法に縁のある精霊(しょうりょう)のことで、また一般に、皆さんに何らかの関係のある精霊のことをいいます。
 無縁(むえん)精霊とは縁のない精霊のことです。前世において仏・菩薩に因縁を結んだことの無い精霊のことも言います。
 亡き人、死者を弔(とむら)う縁者(えんじゃ)の無い精霊のことも一般に「無縁」と言われます。

▼法要をいとなみ、供養する際は「有縁無縁一切の精霊」の供養をするのが仕来たりです。
 仏教は「慈悲」の宗教ですから関係の無い無縁の精霊まで供養して上げることになっています。

▼ところで先祖供養は子孫が情愛に基づいて供養していましたが、核家族や家族の崩壊とともに先祖供養や葬儀に至るまでおろそかにされ、これではご先祖さまも浮かばず、親族の情も薄くなり、自分も信念の持ちようもありません。
 そこで、日々真面目に拝まれている信頼のおける僧侶にご供養を任せて子孫の代わりにお寺に供養を委託されるようになりました。
「永代供養(えいたいくよう)」のいわれです。

■盂蘭盆供養、彼岸供養、施餓鬼供養、日々の供養、観音院は優れて良く拝む寺です。
 み仏さまにお供えする御仏飯、果物などの供物、供花なども何時も新鮮なものを吟味しています。
 日本各地の皆さまからお心遣いいだいて新米や野菜、特産物など、お花やお菓子、お供物をお供えいただいております。
 特に「お香」については「伽羅」を日常的に使用しています。伽羅(きゃら)は純金よりも高価で、入手が難しいですが、有り難いことに、三十万円とか百万円などの「お香料」ご供養がありますので、良いお香をお供え出来ています。
きっと、み仏さまも喜ばれ、有り難く受けられていることでしょう。

■観音院の僧侶や職員は全員が、経典や儀式やお供物などについて良く勉強しています。怠る時は、僧侶としての資格が無く、直ちに寺に居れなくなります。
 関西地区や東京道場の僧侶たちもおかげさまで、信心を厚くしてよく礼拝し、勉学し、法要出仕を重ねさせていただいております。
 東京道場には法要が中継され、修行僧が皆さまよりご依頼されたご供養ご祈願、祈念を共にさせていただいております。

■法主さんも住職さんも、奇跡は厳しく否定されますが、困った時に法主さんや住職さんの声が聞こえた人は沢山おられます。
 どうしようかと悩んでいる時に霊感をいただくと言われるようにみ仏さまの夢を見られたり、法主さんや住職さんのお姿が想い浮かんだりされるかたは多いようです。
法主さんや住職さんは距離を超えて、遠方にいる信徒さんでも頼りにすれば「通ずる」のではないかと、よく話を聞きます。

▼供養や祈願をした結果、願望が叶えられた話は、枚挙に暇がありません。法主さんや住職さんは、み仏さまの慈悲が有ったのだと、言っておられますが、現実に起こり、本当に頂けるものです。

■観音院で、厄除けや有縁無縁のご供養をされる人は年間数万人ですが、多くの皆さんがさまざまにご守護とご利益(りやく)を頂いておられます。有り難いと思うようなことが無ければ、供養を続けてなされる必要はありません。
 皆さんも体験してみて解かる、有り難さです。供養や礼拝を継続する意味を説明するのは、たいへんに難しいことだと、法主さんが言われるのは、純粋な体験の世界で理屈では無いからです。

■今年もあと二ヵ月となりました。もう直ぐ年末年始の厄除けの行事が執行されます。厄年によく大難が起きることが多いと言われるのは、先祖からの用心して暮らすようにとの「生活の智恵」です。
 特に「大厄」といわれるのが、男性二十五歳、四十二歳、六十一歳。女性十八歳、三十三歳、三十七歳。厄年と言われているのは、身近な家族や友人の不運や大難と思われる不幸を見られて、経験則的に定着したものです。
 ご供養も「先祖を大切にする家は栄える」と言うもは、ご供養が人生をかえりみる善き機会となり、霊性を高めます。ご供養を通じて、ものごとのめぐり合わせというものが良くなり、不幸や家庭の崩壊などをくい止める善行となります。
 ご供養に際しては、法要で読誦している「まことの道」七曜戒や十善戒の一つでも記憶して帰られ、謙虚に暮らし「十善の道」を歩むよう誓って下さい。
 お焼香されるときは、み仏さまを仰(あお)ぎ見られて、慈悲をご自身の心に映すように礼拝(らいはい)しましょう。

 日常生活ではどなたも苦しいこと、腹の立つことなどが多いとおもいますが、忍耐して善い態度と善い言葉でお暮らしください。必ずや善きお導きを頂かれましょう。
 厄除けの祈願に来られた際は、家族のため、親族のため、勤務先のため、「世のため、人のために尽くさせて下さい」と願い、慎重に注意して日々を過ごて下さい。

数珠のお話(二)

■八月は慰霊、供養の月■
 戦後六十年、今年も事故や災害で多くの方が犠牲になられ、辛く悲しいお盆となりました。
 事故などの現場には、人知れず花が供えられ、香が手向けられ、供物が捧げられ、静かに合掌し、ご菩提を祈る人々の姿が続きます。
親戚縁者でもない人が純粋な祈りを献げられます。観音院に世界各国から供養の依頼が寄せられます。

■生老病死 悲哀をのり超えて■
 観音院では十代、二十代の若い皆さまのご参詣が増えつつあり、「水子供養」も丁重にお願いされ、よくお参りされています。
 若者がご先祖さまや祖父母さまのご供養を気にかけられ、合掌なされ、「供養の心」の継承が確かに感じられます。

■若い皆さまの真摯な供養心■
 朝晩の通勤の往き来にお参りされる方が増えました。若い男女がお仕事の休みに。法要に仲睦まじくよくお参りに来られています。

■折り鶴■
戦争犠牲者、原爆犠牲者に各地の皆さまから捧げられますが、観音院のご本尊ご宝前には、生前不遇であった故人の供養のためや、水子供養のためにも多くの千羽鶴が捧げられています。

■供養の優しさから、幸せに■
 さまざまな悲しみを乗り越えて、苦労を共にし、支えあってご結婚される若い方々、ご妊娠の報告を頂いたり、赤ちゃんの初参りにはご親族と共にご参詣になります。
 新しい世代に信心が続き、僧侶一同心からご祈念申し上げます。

■数珠の功徳(くどく)■
 観音院で得度された皆さまには修行用の正式な数珠を授けられます。数珠は「忍耐」の象徴です。
腹が立つことがあっても、堪忍し、辛抱して、じっと数珠を握りしめて、忍耐する心が、み仏への道に通じて行きます。

法主さまのお数珠
■腕輪念珠は若者から高齢者まで
 仏さまにやお守り頂きたい
 ご信心を持っておられます■
 健康ブレスレットではなくて、寺院で拝んで頂かれた腕輪念珠を左手にしておられる人が増えているようです。仏教に憧憬をもって勉学され、観音院の「僧侶養成講座」への問い合わせも多く、日本全国、海外からもお問い合わせが続いています。
 供養心をはぐくむお盆となられますように、お盆などの高速道路などの渋滞の「車の数珠つなぎ」に巻き込まれないように、中には「立ち往生」されないように早めに安全運転に徹してください。

■数珠(じゅず)の種類には■
 数珠は、菩提樹の実をはじめ、伽羅や沈香などのいろいろな香木、水晶などの貴石、珊瑚などを丸くし、小さな穴を開け、その珠を糸でつなぎ輪にしたもので、み仏さまを礼拝するときに用います。
 数珠の玉は百八個が正式なものですが、自らの百八煩悩(ぼんのう)の消滅し、怒りや不安の心を鎮めるように念じます。
 真言や仏名を念誦(ねんじゅ)することに用いるから「念珠(ねんじゅ)」ともいわれるようになったともいわれます。
 み佛さまを拝むときに、百八の数珠を一個ずつ、爪繰(つまぐ)ります。無心に数をとることができますので、精神を集中し、祈念の方に専心できるわけです。
 インド古語の原語には「つぶやく」という意味もあるそうです。
珠(たま)を一つ数えるごとに、一回み佛さまを念ずるところからいう「数珠」といわれました。
 修行のとき真言や念誦を百回、千回、一万回など回数を無心に数えるための「仏道」の道具です。
 あまり高価な数珠を用いるのは考えものです。本来、仏教や僧侶というものは慎み深いもの、質素を常とするものでだからです。

■「腕輪念珠」は左手首にしますが、携行用の数珠で、み佛さまのように心優しくありたいと願い、御守りとして身につけて、自らが悪しきことに近づかないようにご加護を願い、自分の行動や言葉を制御できるように戒めます。
 親珠から数えて、左右の七個目と二十一個目の子珠の次に四天と呼ばれる小珠があります。
 ご真言を七遍ないし、二十一遍お唱えする目印にします。この時、四天は数えません。子珠を全部繰(く)れば百八遍お唱えしたことになります。

■暮らしの中の念珠■
 念珠は、純粋に念ずる人の加持(かじ)の力を持っていて、心と身体を癒(いや)し、気のめぐりを回復する働きがあります。
 腹が立ったときは、ぐっと念珠を握りしめてみて下さい。不思議と怒りの念が鎮(しず)まり、心が落ち着いてくるのです。身体が痛むときには、痛みの箇所を念珠で摩(さす)ると楽になります。
 数珠は皆さまの日々の暮らしのお守りとして、持ち歩かれ、腕輪念珠は左手につけて、み仏さまのご加護を頂きましょう。
 自らが、厄難に近づかず、身を慎み、言動を戒める誓いの標(しるし)として、幸福への道へとお導き頂かれることでしょう。

数珠のお話

■念珠の功徳(くどく)■
 私たちは、み仏さまを拝むとき、お寺に参る時、法事をいとなむ時、ご会葬におもむく時、仏式の行事に参列する時には、皆さまも念珠(ねんじゅ)を手にされます。
 袈裟(けさ)と共に数珠は仏教徒の証(あかし)とされています。
 古代インドのバラモン僧が使っていたもので、仏教でも採り入れ使われるようになりました。
また、仏教の影響で、数珠は西方にも伝わって、キリスト教でもイスラム教でも祈りの回数を数えるために使うことがあります。キリスト教の数珠はロザリオと呼ばれます。

 
 母珠は達磨(たらま)ともいわれ
 法を意味します。
 達磨(親珠)は小さな珠・
 補処(浄明)の付いている方。
■数珠を持することの教え■
 お釈迦さまが霊鷲山(りょうじゅせん)に居られた時、ある国王が苦難の多いわが国が良く治まるには、と教えを請われました。
 お釈迦さまは、木の実百八個を通して環をつくり、これを常に身から離さず、心から仏さまの御名を唱え、一つずつ繰っていきなさい。二十万遍になったとき心身が整い、人々の心も安楽になり、国家も安泰となる。さらに百万遍になった時、人の百八の煩悩も断ち切ることができると説かれ、一つの数珠を授けられました。国王は一心に念じ続け、国は安泰になり、仏道を成じたということです。

■怒りや不安がある時に、お数珠を手にとりましょう■
 忍耐し堪忍すべき時に、数珠を握って、まず心を落ち着けることをおすすめします。自らを振り返って冷静になる時間をもつことで、仏徳を頂かれ、多くの不幸を避けることができます。
 人生は自分の思いにならないことがほとんどです。怒りや感情のまま行動すると自ら過ち、不幸を選んでしまいます。
 数珠の徳、それは持つ人の慈悲(じひ)と戒律(かいりつ)を表すとされています。いつも使われるバックの中に数珠を入れて御加護を頂かれてください。
 般若心経を唱えたり、念仏し、ご真言をお唱えするときは、その回数を数珠で数えます。そのため「数珠(じゅず)」と呼ばれます。
 数珠の珠を一つずつ爪繰り、七や
二十一、五十、百、百八などの数を取るのは、数えるという「雑念」に捕らわれないためです。

 数珠の珠(たま)が百八珠あるのは、人間の百八煩悩(ぼんのう)を悟りに転ずることを表し、仏を念じ、真言を唱え、数珠を繰(く)るのは、仏との縁を厚くし、精神の浄化と集中を高めます。
 念珠は「念誦(ねんじゅ)」に通じます。菩提樹(ぼだいじゅ)はお釈迦さまがその樹下で悟りを開かれた聖樹として尊ばれ、数珠や腕輪念誦の材として今日までも好まれています。
 百八珠を正式な念珠としています。念珠は百八珠を二分している大珠が二つあり、これを親珠(おやだま・母珠)と呼びます。
 主玉の百八個の玉は「人間の百八の煩悩」を意味しております。かつ「菩薩の修行の過程」を意味しているともされます。
 主玉の間にある小玉や、房についている小玉など小さい玉には、四天、四菩薩、弟子玉、記子玉、などの名があり、弟子玉の下についている露型の玉は記子止(きしどめ)、露玉(つゆだま)と呼ばれ、また親玉のすぐ下、表房の一番上にある玉は浄明(じょうみょう)(浄名)といわれます。

■念珠を手に掛けるときは、一重で左手首に掛け、このとき長いものでも一重にします。(和室で畳に着いても構いません) 二重、三重にしたり、手首に巻き付けたりはしません。
■合掌は左手の掌を少し上向きに、その上に右手の掌を重ねます。
 そして右手の親指が左手の親指の上にくるように指先を軽く組み合わせます。これを金剛合掌(こんごうがっしょう)と言います。
■片手で持つときには、二重にして左手の人指し指に掛け、親玉と房を手の中に入れ、握りしめます。
■置いておくときは、三重にして浄明(じょうみょう・親珠の隣にある小珠)の付いているほうの親珠が上になるように、ご本尊さまの方を向くように置きます。
 手に掛けるときは、左手の人指し指と、右手の中指に房が手のひらの中にくるように掛けます。
■数珠は手首にかけ、手に持つもので、ネックレスのように首に掛けるものではありません。
 短い略式念珠のときは、法要中は左手に軽く握ります。合掌するときは、念珠の輪の中に両手先、または片手先を通します。
 ときに念珠を激しく摺(す)り鳴らす方がおられますが、数珠の珠が傷みますし、通常は摺るものではありません。
 そして、法要中には絶対に念珠を摺らないようにお願いします。法要中は、「導師」の僧侶が念珠を摺ってご祈念やお経の合図としているからです。
 お数珠は、身につけているだけで罪障を滅し、無量の福を受ける功徳があると言われます。み仏さまに感謝し、親しく優雅に美しく持ちたいものです。

み仏さまにお供えするお花の選び方

四月は春爛漫、桜をはじめ花々が咲き匂い、お釈迦さまのご降誕をお祝いする「花まつり」が厳かに行われます。観音院ではおかげさまで、春夏秋冬、年中、美しい供花が絶えることがありません。

■み仏さまにお供えする花についてよくご質問を受けますが■
 供養する花は、昔から言われていることに、匂いの悪い花やトゲのある花は駄目とか、言われます。
 美しい薔薇は供花にされるようになり、故人も好きな方が多く、真っ赤な薔薇でも歓迎です。近年、薔薇は、み仏さまに相応しいと思われる方が多く、故人の好きだった花色、もちろん白い薔薇も歓迎、青や黒い薔薇が供養されば、微笑み喜ばれるかもしれませんね。
 ただし水換えや後で掃除をする人が怪我をしないように茎のトゲはきれいに除いておいてくださるほうが望ましく嬉しいです。
 百合の花はオシベの花粉を除いて供えます。あの花粉は着きやすく、参拝の方の衣服の繊維が染まり、色が落ち難いので困ります。
手指などに着いてもなかなか色が落ちませんので気をつけます。
 白い菊の花、清潔で香りも良く、清雅でおくゆかしい日本らしい花です。近年、ご葬儀の飾りつけに多用されて、お別れのイメージが強くなり過ぎましたが、ごく自然に供花として捧げられてください。
 胡蝶蘭なんかはとても素晴らしいと思います。あのような華美な花なら一本で、み仏さまのご宝前やご仏壇が明るくなります。
 鉢植えでもけっこうです。手入れが簡単で豪華で長持ちをします。
鉢植えの花で特に注意したいのが、土にいろいろと菌や虫が棲んでいたりします。お客さまには花粉アレルギーがある方もおられまして、いろいろと気を使います。
 お墓用として束ねて売っている花は少し味気がないです。花の形を自分でも整えて供養しましょう。
 枯れた花弁や枯れた葉、虫食いの葉は常に除いてお供えします。
 庭で丹精された花は長くもちます。最近は野辺の花、自然の花を摘むのも都会では難しいです。
 どちらかというと悪臭を放つ花や食虫植物などは珍しくても供えないでください。

■造花について 常花の供養■
 造花は古くからお供えされています。み仏さまにはおそらく仏像が造像されると同時に造られ供養されたのではないかと想像します。
 み仏さまの多くは、蓮台(れんだい)の上に乗っておられます。
 み仏さまの脇に飾られるお花は「常花(じょうか)」といいます。
 多くは蓮(はす)の花や葉で、蕾、半開き、開花、蓮の実をもつ花など、仏を荘厳し、仏の教えを象徴的にあらわしています。
 木製の彫刻にに金箔を施したものや、彩色の木蓮華があります。
精巧で優美な牡丹の常花は豪華でさらに高価なものですが、これらは大変な美術品で岩絵の具で彩色されていて、華麗に荘厳することに重点がおかれています。素手でさわらないようにしましょう。
 皆さまがお供えくださる四季の花々のほかに、観音院では高野山から高野槙(こうやまき)を取り寄せてお供えしています。
 高野槙は高野山の御廟の参道の周囲のお墓にも沢山供えられていて、お土産にもなって売られています。水を絶やさないようにすると、緑が美しく、とても長持ちする有り難いお供えです。
 供花は、生花が良いか造花のお供えが良いかの、可否については、考え方としては、み仏さまが「蓮台」に乗っておられるから可、と申しあげましたが、造花であっても手入れ良く、み仏さまに親しく礼拝(らいはい)して、信心の真を尽くすことが大切です。
 造花でも、花を愛で、花の姿を整え、埃が乗らないように日常の細やかな「気遣い」も供養です。
 供花の目的は、追弔(ついちょう)と、自らの贖罪や積善のため、み仏さまの荘厳と報恩感謝の善行、葬儀の際の供花は、死者に対する敬意や感謝、親戚付き合い、会社関係の弔意を表すもの、色々です。
 み仏さまは、その時々のもので、真心を喜んでくださるでしょう。
 法事や葬儀などは本当はどのようにして欲しいのか、本人の遺言があると良いと常々思っています。
 花の徳は「忍辱(にんにく)」を示しています。自然などの過酷な境遇を耐え忍んだ上品な精神をたもつことを意味し、あらゆることに忍耐できる広い心をいただくことができます。

大きなパワーをいただく象徴となるものです

仏教が隆盛し、七世紀中頃、「大日経」もとづいて胎蔵曼荼羅が描かれ、後に「金剛頂経」にもとづいて金剛界曼荼羅が描かれました。
 両界曼荼羅はお大師さまが恵果(けいか)阿闍梨(あじゃり)から伝授されて日本に請来(しょうらい)されたものです。
 密教寺院の本堂では、内陣の中央にご本尊さまと修法壇があり、その両側に両界曼荼羅が懸けられます。向かって右が胎蔵界、左が金剛界です。
 密教の教義を、大日如来を中心とした諸尊の配置によって図示したものが曼荼羅で、皆さまのお部屋に祀(まつ)られると空気が穏やかになり、平安な心と充実感、み佛さまに包まれた大きな安心があります。

胎蔵界曼荼羅
[胎蔵界曼荼羅]は詳しくは大悲胎蔵生(だいひたいぞうしょう)曼荼羅、胎蔵曼荼羅、中央に開花するのは八葉(はちよう)蓮華といわれ八枚の花弁の蓮華に仏が表されています。
 中心には白蓮上に法界定印(ほっかいじょういん)を結ぶ胎蔵界の大日如来が座し、それを巡って八葉上には、上から右回りに「胎蔵四仏」の、宝幢(ほうどう)、開敷華王(かいふけおう)、無量寿(むりょうじゅ)、天鼓雷音(てんくらいおん)の四如来を配します。
 この四仏の中間に東南より「四菩薩」の、普賢菩薩、文殊菩薩、観自在菩薩、弥勒菩薩がおられます。 この八葉蓮華を五色の界線で囲む中核の区域が「中台八葉院(ちゅうだいはちよういん)」といいます。
 この中台八葉院の上部におられる五尊の一列を遍智院(へんちいん)といい、その中央に三角火印があります。
 下部の五尊一列を持明(じみょう)院といい、般若菩薩を中心に、この院にのみ「明王(みょうおう)」が左右に二尊ずつおられます。
 この三院の両側に、三列七段ずつのの一群が並び向かって左が「観音院」で、蓮華(れんげ)を持つ観音菩薩の諸尊群であるので蓮華部院(れんげぶいん)とも呼ばれます。
 右は金剛手(こんごうしゅ)院で、金剛杵(しょ)や武器類を持つ諸尊で金剛部院と称されます。武器は煩悩や障害等を砕破(さいは)する威力ある法具として象徴されています。
 遍智院の上方に広がる二段の諸佛像は、中央門内の釈迦如来を主尊とする釈迦院といいます。 持明院の下方にあって、虚空蔵菩薩を中心に二段の諸尊が並び、左右両端に千手観音と金剛蔵王菩薩の多面多臂(たひ)像を配するのが虚空蔵院(こくうぞういん)です。以上の諸院を囲む外周帯は、上部から右回りに文殊院、除蓋障院(じょがいしょういん)、蘇悉地院(そしつじいん)、地蔵院が巡らされ、総計十二院からなります。
 最外周の最外院(外金剛院・げこんごうぶいん)には、二百余尊にも及ぶ天部諸尊がずらりと上部から右回りに居られ、ここに東南西北の四門を配置してあります。四天王や十二天などの天部と、薬叉、鬼神、十二宮などの星宿の神々、二十八宿等、曼荼羅の周囲
を警護する仏法護持の諸神です。
 よく見ますと堅固な城壁に守られて佛法と世間があるように思われ、また堅固で繁栄しているように思えます。諸尊諸佛は煌びやかな衣装で、緊張の中にも大きな安らぎがあります。
外金剛部院 文殊院
地蔵院 釈迦院 除蓋障院
観音院 遍地院 金剛手院
中台八葉院
持明院
虚空蔵院
蘇悉地院

金剛界曼荼羅
[金剛界曼荼羅]は画面は界線により九等分され、九種の曼荼羅からなる複合曼荼羅です。
 尊像ごとに円光の月輪(がちりん)の背景的な中に居られます。
 九会(くえ)の中心の成身会(じょうしんえ)は、具象的な仏の像を通して、金剛界法を表現する大曼荼羅になっています。
 内郭は五個の白円からなり、各円内は如来を中心に四菩薩が巡っています。
 成身会の中央は、大日如来[仏部]、下(東)は阿閦(あしゅく)[金剛部]、左(南)は宝生(ほうしょう)[宝部]、上(西)は無量寿如来[蓮華部]、右(北)は不空成就(ふくうじょうじゅ)如来[羯磨(かつま)部]の五円からなり、胎蔵界には無い宝部、羯磨部の二部を加えています。この五如来は金剛界五仏、五智如来といわれます。
 五智とは、大日如来の法界体性智、阿閦如来の大円鏡智、宝生如来の平等性智、無量寿如来の妙観察智、不空成就如来の成所作智をいいます。
 その周囲を外郭で囲み、郭内に賢劫千佛(成身会以外は賢劫十六尊)および外供養、四摂菩薩を置き、郭外に二十天を巡らしています。
 これが金剛界曼荼羅の基本形式で、九会(くえ)中の上から、二、三段の六曼荼羅はすべてこの基本形式になっています。
 成身会(じょうしんえ)の下方にある三昧耶会(さんまや・え)は、尊像の代りに三昧耶形(ぎょう)を描き、これによってより深い意念を伝えようとする三昧耶曼荼羅です。 三昧耶形は仏・菩薩が一切の生きとし生けるものを救済されるために起こした誓願(せいがん)を象徴するもので、諸尊の鈴や輪、金剛杵などの所持物や印相であらわされます。
 この左方の微細会(みさいえ)は、三昧耶形を超越し、金剛杵(しょ)や梵字(種子)の内奥の極微の世界に、全魂を凝集し、現象の奥にある理法を表す法曼荼羅です。
 その上方にある供養会(くようえ)は、社会行動をする際、互いに供養し和み合う世界を求める羯磨(かつま・行為)曼荼羅になっています。
 以上の大・三・法・羯の四曼荼羅を総称して、四種曼荼羅という供養会の上方の四印会は、大衆に理解しやすいように四種曼荼羅を簡略化したもので、尊像と三昧耶形併用の曼荼羅です。
 その右方の一印会(いちいんえ)は月輪(がちりん)内に、智拳印を結ぶ金剛界大日一尊を描き、瞑想のきわみに、佛と感応(かんのう)し、仏身と一如となる即身成仏の教理を象徴した金剛界総括の曼荼羅となっています。
 その右方の理趣(りしゅ)会は、「理趣経」による曼荼羅で、主尊は金剛薩捶(さった)、人間の愛欲を肯定しながら昇華することによって、この現世に「煩悩 即 菩提(ぼんのうそくぼだい)」を求める曼荼羅です。
 その下方の降三世会(ごうさんぜえ)、その下方の降三世三昧耶会では、従来諸天王の主であった大自在天を服従させた降三世明王が描かれています。
四印会 一印会 理趣会
供養会 成身会 降三世会
微細会 三昧耶会 降三世
三昧耶会
一印会
 
 胎蔵界曼荼羅が拡散展開して現象界の「理」をあらわすのに対して、金剛界曼荼羅は凝集内観して精神界の「智」を示すものとされて、両界曼荼羅は、理智不二(りちふに)の密教的世界観を具現しています。
 仏の悟りの世界、慈悲と智慧、仏を鮮やかな絵画であらわし、大日如来を中心として如来、菩薩、明王、天、神々、あるいは法具や梵字を整然とした秩序にしたがって、人々に解り易く開示したものです。