利剣不動明王さま

「われら 今、利剣不動明王のご加護を信じ、邪まな心を断つことを願いて、唱えたてまつる。」
のうまくさまんだ ばざらだん
せんだ まかろしゃだ そわたや
うんたらた かんまん
 観音院経典まことの道百十二頁

■観音院本尊大日如来さまの向かって左側にお立ちになられている、み仏さまが、利剣(りげん)不動明王さまでございます。
 右手に降魔(ごうま)の剣をふりかざし、左手に縄(羂索=けんさく)、後ろに火炎があり、恐ろしいお姿の仏さまですが、大変、慈悲深い仏さまでございます。
 自らの邪悪な心を断ち切ってくださり、正しい道に導かれるみ仏さまとして篤い信心を集めておられます。また交通安全、航海安全、航空安全を守護されるみ仏さまとして多くのご信徒さまの崇敬(すうけい)を受けておられます。
 法主さまが霊夢の中で感得(かんとく)された稀有なご尊姿で、利剣を立てて持たれるのではなく、さらに高く振り上げておられます。
 皆さまのさまざまな悪い因縁を断ち切る御力が特に強く、多大の信心を集めておにれます。
 毎月二十七・二十八日がご縁日、交通安全と商売繁昌、悪因縁解脱と「封じ祈願」をお願いされる方が多いとうかがっております。
 私(浄寛)がご法要で住職さまのお側で助法させて頂いておりますと、住職さまのご祈祷が内陣に満ち上がってくるかのようです。護摩供の浄火、不動護摩の修法に不思議を観たといわれる信徒さまは多く、護摩の火炎は不動尊の火焔の如く、竜神の如く舞い上がる様相を顕すことがございます。

■不動明王さまは、「お不動さま」と親しまれ、日本では古の昔より、身分の上下に関係なく広く信仰されてきた仏さまであります。
「不動尊」、「無動尊」、「不動使者」、「常住金剛」とも呼ばれております。 衿羯羅(こんがら)童子、制多迦(せいたか)童子の二童子を従われております。
 真言曼荼羅の中では胎蔵界持明院に配されております。
 お不動さまは、降三世(こうさんぜ)明王、軍荼利(ぐんだり)明王、大威徳(だいいとく)明王、金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王 と五大明王、または八大明王のひとつに数えられ、明王部の主尊であられます。
 明王の「明」にはいくつかの意味があり、一つには「無明」の反対であります。無明は人間の根本的な迷いをいい、その迷いを打破するのが明であります。

 二つには真言陀羅尼という意味です。仏の真実の言葉である真言陀羅尼を保持する者を持明者といい、明王はその代表であります。
 前述の「不動使者」は大日如来さまの使者という意味ですが、単なる使者ではなく、大日如来さま自身の変身であります。故にお不動さまは悟りを開かれた仏さまですが、ご誓願により私どもを導いてくださるためにあえて明王の形でお姿を現されております。
 お不動さまは仏教の信者を守るため、わたくしたち衆生の諸々の煩悩を断ち切るために大火を燃やされております。
 しかし燃やしたあとには仏法をもって安穏をお与え下さる、厳しさの中に大慈悲がある仏さまです。

■二宮尊徳翁(1787-1856)はお不動さま、観音さまの信者として知られております。
 ある日、小田原藩の代官が翁の家を訪ねた際、床の間に不動明王の画があるのを見ました。代官は翁に、不動明王を信仰されているのですか、と訊ねました。すると翁は次のように答えました。
「若かりし頃、小田原藩主の大久保忠真侯の依頼を受けて、復興支援の為にこの地にまいりました。
 管轄する村々は、田畑が荒廃し、農民は貧しい暮らしから逃れるため、土地を離れ人口が減少していて、大変な地でしたが、一度引き受けたからには、成功不成功にかかわらず、この地に居を定めて動かない、たとえ背中に火がつくような事がおきようとも、死んでもこの地から動かない、と心に決めて復興に当ることとしました。
 私は、仏教の詳しい教へは知りませんが、お不動さまのお名前と、猛火に包まれても動じないという姿形を信じてこの画を掛けて、家族や土地のみんなに私の気持ちを示したのです。
 何とか今日まで復興のために働き、離れた農民たちも戻り、仕事を続けられてきたのも、ここを動くまいという一心があったからと思っています。その際の心を改めて確認するためにも、この不動尊の画を掛けているのです。」
「聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経」に「是の大明王は大威力あり。智慧の火を以って、諸(もろもろ)の障礙(しょうげ)を焼き。亦(また)法水を以って、諸(もろもろ)の塵垢(じんく)を漱(すす)ぐ。・・・」とあります。
 お不動さまの画から、憤怒(ふんぬ)の形相の内は大慈悲で満ち溢れているのを感じ、お不動さまと一体の境地となり、難事業の聖業にあたられたのではと思います。
 法主さまは、「不動明王さまは父の厳しさ」を、「観音菩薩さまは母の慈愛」をあらわすとお教え下さっております。父母であるみ仏さまがお近くでお守り下さっているという感謝のまことを捧げられ、観音院にお参りいただければ、慈しみの御加護が皆さまにもあると存じます。合掌九拝 浄寛

日切り地蔵菩薩さま

観音院の正面の入口、お寺では山門(さんもん)と申しますが、山門を入り右手に「地蔵堂」がございます。
 山門と言われますのは、古くは寺院は人家を離れた高台や山林にあって修行の場として、寺院ごとに「山号(さんごう)」を有していた名残といわれます。
 この地蔵堂にお祀(まつ)りされております地蔵菩薩さまは、「願掛け」のお地蔵さまとして、信仰され、慈しみの心を成就(じょうじゅ)するために、願いを掛け、日数を切って(決めて)参拝すると、かなえてくださると言い伝えられており、「日切り地蔵菩薩」さまとお慕いしております。
 日数は七日、二十一日、四十九日(七七日)、百八日などの吉祥数で参拝し、誠意を示し、真心を捧げてご祈願する習わしです。
 昔から「お百度」祈願など盛んですが、現在も朝夕にお参りされる若者のお姿も絶えないと住職さまもおっしゃっておられます。
 お地蔵さまの前には浄水が満ち、ご参拝の皆さまからの供花が生けられています。
 ご参詣された際に、このお水をお地蔵さまにお掛けしますが、この時に「自らの罪障を洗い清めてくださるために、お地蔵さまが代わって水を掛けられる」もので、心に留めて、優しくお掛けして下さい。私たちはともすれば自分も気づかずに残酷なことをなし、悪とも知らずに犯す罪障もあります。
 罪障消除の「水掛(みずかけ)地蔵」さまともいわれます。
 また、皆さまが地蔵尊のお慈悲を慕いてペット供養・動物供養や花供養、魚供養、虫供養をお願いできます。
 毎月の二十三日と二十四日がご縁日となっております。
 ご真言は「おん かかかび さんまえい そわか」、お参りの時は七回または二十一回お唱えして自らの罪障の消滅と、精霊供養、所願の成就をご祈念いたします。
 最近はインターネットのホームページで観音院を知った若者たちがたくさんお参りに来られるようになり、仲の良いカップルが連れ立って法要に会われ、丁寧に行き帰りにお地蔵さまにお参りされることがほんとうに多くなったと、住職さまも感心しておられます。

 地蔵菩薩さまは胎蔵界曼荼羅・地蔵院の主尊であります。地蔵とはサンスクリット語で「クシティガルパ」、直訳すると「大地の蔵」です。胎蔵界は母の胎内にいるように慈悲に満ちあふれた世界ですので、御名の「大地の蔵」とは母の胎内そのものであり、皆さまを優しく慈育され、お導き下さるみ仏さまでございます。
 観音さまと並び、古よりご信仰される方が多い地蔵菩薩さまは、お釈迦さまのご入滅後、五十六億七千万年後、兜卒天(とそつてん)におられる弥勒(みろく)菩薩さまが成道(じょうどう)するまでの間、衆生済度を付託され、私たちの住む人間道を含む六道に赴き、現世のさまざま境遇にあって、苦しみ悩む私たち衆生を救済されるお優しいみ仏さまです。
 六道とは、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道で、六道輪廻の思想(全ての生命は六種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)に基づき、六地蔵さまの信仰もあります。

■「宇治拾遺物語」のお地蔵さまと往生にまつわる一章をご紹介したいと思います。
 昔、丹後国(現在の京都府北部)に年老いた尼僧がおりました。
 尼僧は「地蔵菩薩さまはいつも夜明けにお歩きになる」という噂話を聞き、地蔵菩薩さまを拝みたいと願い、夜明けごとに外出しては歩き回っておりました。

 ある寒い夜明けに尼僧の姿を見たばくち打ちの男が、「尼さん、何をしているのか」と声をかけました。尼僧は「地蔵菩薩さまは夜明けにお歩きになるとのことで、お会いしたくて、こうして歩いております」と応えました。
 男はすかさず悪知恵をはたらかし、「お地蔵さんの歩く道なら、よく知ってる。ついて来なさい。そのかわり何かお礼をしてもらいたい」と言いました。
 すると尼僧は「私の着ている衣を差し上げましょう」、「それなら連れて行こう」。男は尼僧を、隣の家に連れて行きました。隣家には地蔵ならぬ「じぞう」という名の子供がおりました。隣家とは知り合いだったので、「じぞうは居るかい」と尋ねると、親は、「外に出ておりますが、もうじき戻ります」と言います。
 男は尼僧に「地蔵の居るところはここだよ」。尼僧は喜んで、衣を脱いで男に与えました。男はそれを受け取ると、急いでその場から立ち去りました。
 尼僧は、「お地蔵さまにお会いしたい」と言ってその場に座って待っておりますが、親はわけが分からず、「なんでうちの子に会いたいのだろう」と首をかしげているところに、十歳ばかりの子供が木の枝を手に持ちながら家に入ってきました。「じぞうが戻りました」と親が言うと、尼僧は「じぞう」を見るや、土間にひれ伏し、恭しく合掌しました。そのとき、「じぞう」は、何気なく枝で額を掻きました。すると額から顔が裂け、裂けた下から何ともいえず有り難いお地蔵さまの顔が現れました。尼僧が合掌しつつ仰ぎ見ると、まさしく地蔵菩薩さまがお立ちになっておりました。感激の涙で拝みながら、尼僧はそのまま往生を遂げたということでございます。 

▼観音院にご参詣の時は山門から入り地蔵堂の地蔵菩薩さまにお参りくださいませ。合掌九拝 浄寛

萬倍さま

— 赤白(こうはく)の
   お姿拝し ありがたや
     清き願いを 萬倍に–

 観音院の境内(けいだい)にお護りします赤い堂宇(どうう)には、ご霊験(れいけん)あらたかな萬倍さまの御神体と、萬倍さまの御使いであられる「赤だるま」さまと「白だるま」さまがおまつりされております。
 「赤だるま」さまは毎年一月と二月に、「白だるま」さまは六月から七月にご信徒の皆さまに授与されます。
 おまつりされるご家庭や事業所に大いなる福徳知恵をもたらされ、幼子にも親しまれ、全国各地の皆さまに崇敬を受けておられます。
 萬倍さまは宇賀神(うかじん)さまといいまして、五穀豊穣の穀物の「福の神」さまで、お大師さまが一刀三礼(いっとうさんらい・一刀三礼とは、一度刻んでは三回礼拝して最も丁重に仏像を仕上げることです)のお作法で御神体をご謹刻され、礼拝されたと、伝えられております。
 萬倍さまのご本地は「薬師如来さま」でございます。本地とは本来の姿と言う意味で、日本には古来より先祖の霊や神々を敬い、本地垂迹(ほんじすいじゃく)と神仏融合同体という考え方がございます。本地垂迹とは、み仏さまや菩薩さまが、わたくしたち衆生を救うために神(仮の姿)として現れることをいいます。
 それでは「萬倍さま」の本地仏であられる薬師如来さまとはどのようなみ仏さまでしょうか。
 阿弥陀如来さまは西方極楽浄土のみ仏さまでありますが、薬師如来さまは東方浄瑠璃(じょうるり)世界のみ仏さまで、薬師瑠璃光如来、大医王仏、医王善逝(ぜんぜい)とも言われて特にご信心されております。

 紫青色の美しい宝石(瑠璃)の輝く東方浄瑠璃世界にて、日光菩薩さま、月光菩薩さまの両脇侍(きょうじ・わきじ)をはじめ、宮毘羅(くびら・金毘羅)大将や伐折羅(ばさら)大将など「護法(ごほう)十二神将(しんしょう)」を従えてております。
 十二神将は、時をあらわす十二支に対応して二十四時間、時空を超えて常にわたくしたち仏教徒を力強く守護しているといわれております。
 三蔵法師玄奘(げんじょう)さまの翻訳された薬師瑠璃光如来本願功徳経において、お薬師さまは十二のご誓願をお立てになられております。

 第一願「光明照曜」自から発せられる浄光で遍く世界を照らす、
     衆生と共に悟ろうという誓願。

 第二願「随意成弁」威徳と人徳により、人々を悟りの境地に導く。

 第三願「施無尽物」人々の願いを叶え、満ち足りた環境に導く。

 第四願「安立大乗」大乗仏教の正しい教えに導く。

 第五願「具戒清浄」人々に戒律を保たせる。

・・・・・・、など十二のご誓願がありますが、特にお薬師さまの御名と「第七願」の「除病安楽」とがあいまって、病気平癒専門のみ仏さまと思われる方がいらっしゃいますが、わたくしたちがこの「現世」をより善く行きぬくために御力をくだされ、身心の病、社会の病をもなおし、癒して、人々を「まことの道」に導いて下さる仏さまであります。
 萬倍さまは観音院の守護神、福の神、法主さまの守護神として、お参りの皆さまの豊饒(ほうじょう)の守護神としてたいへん有名です。
 薬師如来さまが本地の「萬倍さま」は、常々法主さまが言われておられますが「世のため、人のために尽くしたいので力を与えて下さい」と願う人の、福・徳・知恵を万倍にし、所願成就、家内安全や家族守護、学業成就、商売繁昌にご霊験があると、皆さまに深く信仰されています。

*「萬倍さま」にお参りのお作法は、
■御前にて合掌礼拝されてから仏教の◎◎(はくしょう)※手偏に白(ハク)+掌
(柏手・かしわでの元)を二回打ちます。
■次に、仰ぎ見られて、合掌礼拝し、ご祈願し、萬倍さまのご真言を7回お唱えします。
 「ご真言 まんばい」
■再び合掌礼拝し、はく掌を二回打ち、
■最後に、合掌礼拝します。

 観音院にご参詣になり山門を入られたら、先ず日切(ひぎり)地蔵菩薩さま、次に、萬倍さまににお参りされ、ご本堂にお上がりください。
 複雑な社会情勢を反映してか、朝に夕に萬倍さまへのお参りも増え、全国からのご祈願、お札やお守り、だるまさまのご送付で僧侶の方々が大忙しとうかがっております。
 皆さまも霊験あらたかな萬倍さまをご信心され、不思議な御力を頂かれ、福徳知恵を万倍にして頂かれて下さいませ。

虚空蔵菩薩さま

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)さまは、丑寅歳の守本尊として、芸術・工芸のみ仏さまとして広く信仰されております。
 私(浄寛)は寅歳生まれで、音楽関係の仕事に携わってきましたので、若い頃より虚空蔵菩薩を信仰し、自家のご仏壇には菩薩さまをお祀(まつ)りし、日々礼拝(らいはい)しております。
 以前、広島観音院に出仕させて頂いた際のことですが、お内陣の、金剛界曼荼羅の御前で、お灯明を一対お上げして、理趣経をお唱えさせて頂いておりますと、虚空に満る菩薩さまの慈悲の光を感じるような、有り難い体験をしました。
後述しますが、若かりしお大師さまのご修行のお姿が目に浮かび、お大師さまと読経しているような悦びを感じさせて頂きました。

 今昔物語(十二世紀前半)に、ある若い僧侶のお話があります。
 僧侶は学問の志があり、虚空蔵菩薩さまに学問大成のご祈願をしておりましたが、お願いするだけで、遊び戯れる日々を過ごしておりました。しかし遊び戯れ学問を行わない自分自身の不甲斐無さは自覚しておりました。
 ある日虚空蔵菩薩さまのお参りを終え帰寺の道中、日が暮れたので知己の者の家に泊めてもらおうと歩いていると、とても豪勢な門構えの家がありました。僧侶は事情を話し一晩泊めてもらうことになりました。夜分部屋を出てふと見ると、ある部屋で蝋燭の灯で本を読んでいるとても美しい女性がおりました。僧侶は一目で女性に魅せられてしまいました。僧侶は前世の定めによって女性と出会うことになったのだろうと想い、家人が寝静まったころ、女性の部屋に忍び込みました。女性は驚きましたが、落ち着いた声で、「お坊さまはお経をそらでお読みになれますか」と聞きました。僧侶は、「お経は学びましたが、そらでは読めません」と答えました。すると女性は「お経がそらで読めるようになったらまたいらして下さい」といいました。
 僧侶は寺に帰り一生懸命お経を覚え、二十日間ほどでそらで読めるようになりました。僧侶は前回と同じく虚空蔵菩薩さまのお参りの帰りに女性の家によりました。
女性にお経をそらで読めるようになったと話すと、女性は、「お経をそらで読めるだけで得意になるような方の妻にはなれません、三年間お山に篭り立派な学僧になってからおこし下さい」と僧侶を帰しました。
 それから三年間、僧侶は女性に会いたい一心で学問に励み、名声がとどろく学僧となりました。そして三年ぶりに女性に会いに虚空蔵菩薩さまのお参りのあとにまいりました。女性はたいそう喜び、その夜二人は手をつなぎながら話をし過ごしていましたが、僧侶は疲れからか寝入ってしまいました。
どのくらい経ったのかふと僧侶が目を覚ますと、まったく人気のない野原に横になっておりました。恐ろしさに僧侶は虚空蔵菩薩さまのお堂に逃げ込み、おたすけ下さいと拝んでいるうちにまた寝入ってしまいました。
 夢の中に虚空蔵菩薩さまが出られ、今夜騙されたのは悪霊のしわざではない、本来は聡明であるのに遊び戯れ、学問をしないのに、私のところに参り、どうか学問ができますようにと祈るので、思案をし女性に身を変え、学問をするように勧めたのだ。何も恐れることはない、寺に帰り学問に励みなさいとおっしゃられました。
 目が覚めた僧侶は、女性に身を変えてまで、導いて下さった虚空蔵菩薩さまに感謝し、これまでの愚かさを悔い、一層学問に励み、立派な学僧になったとのことです。
 虚空蔵菩薩さまは、大日如来さまの福と智の二徳をつかさどっている菩薩さまといわれております。
虚空蔵とは文字通り「虚空を蔵する」の意で、広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った仏、という意味で、胎蔵界曼荼羅「虚空蔵院」の主尊であります。
 今昔物語のように「智恵を授かる仏さま」として人々の信仰をあつめております。虚空蔵菩薩さまの二徳を「福威智満」という言葉で説明されておりますが、外は福分があっても、内に智恵がなければならず、内に智恵があっても外に福分なければならない。福と智の二徳を兼ね備えて威徳があらわれ、尊敬を受ける人物になる—-。
虚空蔵菩薩さまを信仰すると二徳が得られるといわれております。
 虚空蔵菩薩さまといえば、若き日のお大師さまの修行時代のご様子が想い出されます。
 奈良の都の大学は修身斉家治国平天下(天下を治めるには、まず自分の行いを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国家を治め、そして天下を平和にすべきである。)を基本とする儒教を学ぶのが中心でした。さらに高きものを求めて中退されたお大師さまは、仏法を求め師僧を探されていたところ、勤操大徳に巡り会いました。勤操大徳はお大師さまの仏縁を見抜かれ「虚空蔵求聞持の法」をお授けになられたといわれます。
 「虚空蔵求聞持の法」は虚空蔵菩薩さまを本尊とし、印を結び、ご真言(観音院常用経典まことの道二十四ページ)を百万遍お称えする行で、五十日や百日などの間に修する過酷な行法であります。
 お大師さまは著書「三教指帰」に、「阿国大竜ヶ嶽に登りよじ、土州室戸崎に勤念す」と書かれ、阿波の国大竜ヶ嶽や土佐の室戸岬にて修行されたことを述べられております。虚空蔵求聞持の法行満の日を室戸岬で迎えられるのですが、その時、夜明けの明星がお大師さまの口中に入ったといわれております。お大師さまは出家得度の前行であるとおっしゃられると思いますが、六年間山中で苦行され、菩提樹の下で宇宙の真理と仏の道を覚られたお釈迦さまとあまりにも似ているのではと、お大師さまを信仰する方々はお想いになることと存じます。
 お大師さま三教指帰にて虚空蔵求聞持の法の功徳を、「法に依って此の真言百万遍を誦すれば、一切の教法の文義を暗記する事を得」、「若し能く常にこの陀羅尼を誦する者は、無始より来たる五無間等の一切罪障は悉く消滅す」とお書きになられております。
 虚空蔵菩薩さまは、お子さまの「十三参り」の守り本尊さまでございます。十三歳になった男子女子のご守護を願います。
 観音院ではご本堂の金剛界曼荼羅前に「虚空蔵菩薩さま」をおまつりしております。三十cmほどの華麗なお厨子におまつりされている純金仏で、観音院の秘仏とされていますが、ご法要時に皆さまにお参り頂いております。毎月十三日がご縁日で学業成就をご祈念になっておられます。

慈悲のみ仏「観音さま」

広島市の古地図に「永徳寺 観音院」が記されていますが、小さな観音さまのお堂が、広島市観音町の発祥のお寺として、近在の人々が日々参拝し、丁重にお護りされて、今日の観音院がございます。
 法主さまにお伺いいたしましたら、当時の観音院の南はすぐ海で、瀬戸内海の漁師さんたちやご家族のご信心も集め、航海安全・豊漁祈願の祈りが、現代までも捧げられ続けています。
 その後数百年にわたり、沖に向かって埋め立てられ、現在の観音新町までできたそうです。
 観音院の東の「天満川」には、昔、お寺専用の雁木(がんぎ)があり、戦後も恵俊僧正さまや法主さま、院主さまも、歴代の住職は江田島など広く瀬戸の島々にお参りされていました。
 観音院の「子安観世音菩薩さま」は、安産・育児のご守護、ご家族をお守りくださる観音さまとして有名で、人々に愛と光をもたらす優しい仏さまです。
 その深いお慈悲に、有縁(水子)供養では全国各地の善男善女人からご供養のご依頼が多く寄せられ、厚く信仰されております。
 この世に縁無くて日の目を見られなかった可愛そうな水子さまのご供養は、僧侶一同により永代に特に丁重に拝まれています。

 子安観世音菩薩さまは御胸には、子供さんを逆さに抱いておられる稀有な御姿でございます。
 母胎に大切に育まれた赤ちゃんがこの世に誕生する瞬間、助産師に優しく受けとめて頂いた姿です。
 わたくしどもがこの現世に生命を授かった瞬間から、母体の健康を守られ、胎児を慈悲で包まれる観音さまの御胸に暖かく抱かれるように、人の成長にともなって常にそのようにご守護下さいます。

 法主さまのお言葉に「人の幸せは、良い人との出会いで得られることが多いものです。良い先生との出会いで、その先生に教えられた科目が好きになる。来世で良い出会いがあることは正に観音さまの三十三現身と同じですね。
 困った時に助けてくれる人の多くは観音さまの化身です。」というのがございます。
 生涯を通して、観音さまの御慈愛につつまれて安らかに守護され、良い人間関係を育んで頂きたいと存じます。
 わが国でよく用いられる経典に「般若心経」と「観音経」がございます。インドより持ち帰られた経典を中国で多くの僧が翻訳しておりますが、わたくしどもが日常観誦している「般若心経」は三蔵法師玄奘(げんじょう)さまの訳で、観音さまを「観自在菩薩」と訳されています。玄奘さまの翻訳を新訳、それまでのものを旧訳といわれることもあります。
「観音経」は独立した経典ではなく、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品(ふもんぼん)第二十五」が正式名称で、鳩摩羅什が訳されたのを用いております。
 ここで「観自在」と「観世音」と二つの御名が出てまいりますが、「観自在」とは、衆生を観察して、その苦を救うのが自在な菩薩さま、「観世音」とは、衆生が諸苦から脱れようと、助けを求めて発するその声を観じて、ただちに救済する菩薩であります。
 御名は経典・翻訳者で違えど、大慈大悲をもって衆生を救う本願をお立てになられているありがたきみ仏さまでございます。
 有名な西国三十三観音霊場めぐりをはじめ、日本各地に三十三観音霊場めぐりがございます(秩父は三十四観音)。 
 この三十三という数字は宗教的な数字で、インドの神話「リグ・ヴェーダ」では天界・空界・地界にそれぞれ十一の神を配し、三十三神とした。そしてこれが仏教に受け継がれ、須弥山の上に三十三天があり、そこに帝釈天など三十三の神が住むと説かれております。三十三観音にもこうした数字の影響があると考えられますが、観音経の三十三現身にちなんだと一般的には言われております。
三聖身(佛身、辟支佛身、聲聞身)
六天身(梵天、帝釈天、自在天、
大自在天、天大将軍、毘沙門天)
五人身(小王、長者、居士、宰官、婆羅門(ばらもん))
四部衆身(比丘(びく)、比丘尼(びくに)、優婆塞、優婆夷)
四婦女身(長者の婦人、居士の婦人、宰官の婦人、婆羅門の婦人)
二童身(童男、童女)
八部身(天、竜、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩喉羅迦)
執金剛神
 以上の三十三の姿に変化されお救い下さると説かれております。
 また次のような御名の三十三観音もあります。
楊柳観音(ようりゅう)龍頭観音(りゅうず) 
持経観音(じきょう)円光観音(えんこう)
遊戯観音(ゆげ) 白衣観音(びゃくえ)
蓮臥観音(れんが)滝見観音(たきみ)
施薬観音(せやく)魚籃観音(ぎょらん)
徳王観音(とくおう)水月観音(すいげつ)
一葉観音(いちよう)青頸観音(しょうきょう)
威徳観音(いとく) 延命観音(えんめい)
衆宝観音(しゅうほう)岩戸観音(いわど)
能静観音(のうじょう)阿耨観音(あのく)
阿摩堤観音(あまだい)葉衣観音(ようえ)
瑠璃観音(るり)多羅尊観音(たらそん)
蛤蜊観音(こうり)六時観音(ろくじ)
普悲観音(ふひ)馬郎婦観音(めろうふ)
合掌観音(がっしょう)一如観音(いちにょ)
不二観音(ふに) 持蓮観音(じれん)
灑水観音(しゃすい)
 美しく由緒あるお名前の観音さまばかりでございます。
 それぞれの言葉の意味は略しますが、法主さまのお言葉のように困った時に、助けてくださったと思われるお人のお姿、恩人の方が三十三の中に入っておられるのでないでしょうか。
 私(浄寛)は、神奈川県に住んでおりますが、郷土の偉人「二宮尊徳翁」は若かりし頃、旅の僧侶の観音経の訓読読経(通常は音読)に涙し、自分の進むべき道を決めたと言われております。民衆救済に一生を捧げた尊徳翁は「観音さまの示現」のおひとりではと思っております。
 観音院では一日三座不断の法要を執行しておりますが、特にご縁日にお参りされますと、願い事がかなうとご信徒さまからうかがいます。安産守護・無事成長、求子懐妊、家内円満、観音さまへのお願いは優しい思いやりに満ちています。「観音さまのご縁日」は毎月十七日・十八日と、第三土曜、日曜日でございます。とうぞ、皆さまもお参りくださいませ。 合掌九拝