「僧侶」は、仏具・什器備品の中でも一番大切

法主さんも住職さんも人というよりみ仏さまと同じ存在で大切にしてます。
 法主さんは人であり人ではありません。人として尊敬を欠き、尊厳を損なうと、仏罰があたると信じています。個人として、人間としての主張は一切有りません。
 先月十三日と十四日に二十名の方が出家得度される儀式を執行しました。正式に法主さんの弟子になられました。
 監事一同相談した結果、年齢相応の加齢による滲み、皮膚の老化などの一切を手術でとって頂くことを決めました。私たちの希望通りに手術されました。瞼の下の皮膚を四センチ、上下、両方で八センチ、幅二センチ切りとり引き上げる、左右の頬の滲みも全部焼く大変に難しく、かつ苦痛を伴う三時間にもわたる手術でしたが、何も意見を申されず淡々としておられました。
 法主さんは住職になるにあたり断種されていて、男性としての性を否定されています。住職さんも男性としての機能をもっておられません。
 ご両方もお子様が出きるような可能性は皆無で、醜聞も無く、世襲制は身をもって否定されているのです。
 一年に何人か想像妊娠を言われる方がありますが、ご両方とも有り得ないことです。
 怖いのは、中絶には強く反対されていて、もし子供が出来て、相手が分からない、何らかの事情で相手が出産に反対のような場合に、法主さんに依頼すれば、認知もして貰えます。援助もされるかもしれません。
 戸籍を見る限りでは法的に認知された例はありませんが、シングルマザーが増えるにあたり、多分妊娠した人の家族に自分の子供だと言われて中絶をしないよう説得されたのだと思います。
 最近、四十過ぎの女性が二十歳過ぎの立派に成人された男性を連れて尋ねて来られ、このお方が貴方のお父さんだと言っておられ、その男性も恭しくその節にはお世話になりましたとお礼を申されておられましたが、法主さんはことの外お喜びで、上機嫌でした。
 それ以上のことは何も有りませんでしたが、法主さんは大胆と言うか、み仏と言うか、このような人は聞いたことも見たこともありません。
 今年度早々にも親の供養のためにと二千万円を寄進された方が、後日、何らかの理由でお金が入用になったのでしょうか、返金して欲しいと申し出られ、法主さんはご自身が千八百万円、それに住職さんが協力されて千九百万円を直ちに返還されました。
 その人のご両親のご供養は、勿論そのまま継続されています。
 ご供養の意図は継続され、浮世の経済的なことは法主さんが解決されたのです。貧富の度合いでは計れません。
 法主さんは一切の私物を何も持っておられません、爽やかなものです。お酒は一滴も飲まれません。どこにでも出掛けられ、職業に、出自、身分、性別など、差別されることは一切無く、一切を平等に、対等に交際されます。
 お洒落と言う評判も有りますが、足袋、下着、靴、シャツ、スーツなど、全部、信徒さんと監事が選んだものです。個人の趣味を申されたりご自分で買われたことは一度も有りません。
 時計とか車両など、もっと言えば、寺にも自己の生命にも、何も執着をお持ちではありません。
 恐れを一切感じられません。因縁をつけて恐喝する人もおられますが、そもそも名誉も何も興味を持たず関係の無い方ですから、恐喝になりません。
 遵法精神は旺盛と言うより従順です、失うことが何も無いのです。
 放置すれば、食事もとらず、裸に近い襤褸(ぼろ)で暮らされ、み仏の世界に行ってしまわれるでしょう。
 先般、新幹線に乗られている最中に台風で静岡で止まりました。「歩いて帰るから心配しないように」とメールが入りました。笑い話なら面白いのですが法主さんの言葉は素直で本気です。
 望まぬことが起きても絶対に怒られません、何か理由があるのだろう、で終わりです。理不尽には興味無しです。
 活きている如来さまですから、存在自体が希薄で重いのです。でも会いたいと望まれれば何方でも面談されます。ご商売が目的で面談されるとご寄付の申し入れなら有り難く、売り込みの話なら、購入の権限は一切持っておられ無いので話が続きません。
 ご寄付の場合も監事がよくよく趣旨を確かめて、法主さんに報告し、法主さんはお徳を賛嘆される立場です。
 法主さんが可哀想と思われると血の涙が流れます。人を救おうと願われる姿は不動明王のようです。

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