番外編オリンピック談議

アリス
シドニーオリンピックは盛り上がったね。選手のひたむきさに感動させられたよ。
テレス
おお、今年はオリンピックの年じゃったのう。すっかり忘れとった。
アリス
やれやれ。連日、テレビや新聞で取り上げられているのに。いったいどんな生活をしているの?
テレス
わしはテレビを見ないことにしておる。新聞は世間の暗い部分ばかり記事にしておるから、あんまり丁寧に読まんことにしておる。暗い記事を読んでおるとわしの気分まで暗くなるわい。まあ、オリンピックは明るい話題だから結構なことじゃのう。ところで次の開催国はどこじゃ。大阪かのう?

 

アリス
大阪は二〇〇八年の候補だよ。決まるといいね。次の二〇〇四年は、ギリシアのアテネだよ。
テレス
そうか。アテネか。近代オリンピックの第一回大会もアテネじゃったはずじゃ。
アリス
へぇ、そうなんだ。
テレス
今から一〇四年前のことじゃよ。フランスのクーベルタン男爵が開催を提唱したんじゃよ。現在では、オリンピックは世界平和のためのスポーツの祭典と位置付けられておるが、古代オリンピックは、宗教行事じゃった。
アリス
えっ、宗教行事?
テレス
そうなんじゃよ。古代の競技と現代のスポーツとでは目的が違うんじゃ。オリンピア祭典競技の究極目的は古代ギリシャの神々を崇めることじゃったそうじゃ。
アリス
競争と宗教儀式は結びつかないような気がするけど。
テレス
例えば、脚力に自信がある人々が、誰が一番速く走れるかを、大勢集まる祭りの場で競うようになった。これがオリンピックの起源じゃないかな。それがギリシア全土に広がっていった。そうでないと宗教と競争が結びつかんからのう。
アリス
なるほど。ところで、どうしてオリンピックはオリンピックと呼ばれるようになったの?
テレス
それは、ギリシアのオリンピア地方で開催されていたからじゃよ。他の地域でおこなわれとったら、オリンピックとは呼ばれんかったはずじゃ。
アリス
アジア地域の競技大会だからアジア大会と呼ぶのと同じだね。いったい誰がオリンピック史上初の金メダリストだったの?
テレス
わからん。第一回オリンピア祭典競技は紀元前七百七十六年に開催されたとされておるが、競技記録は残っていないからな。そもそも金銀銅のメダルを授与するようになったのは近代オリンピックになってからのことらしい。
アリス
いつまで続いたの?
テレス
三九三年の第二九三回大会まで。一一六九年間ものあいだ続けられたんじゃよ。
アリス
凄いね。でも、どうして古代オリンピックは終わったの?
テレス
政治的な理由からじゃよ。三九二年にローマのテオドシウス帝がキリスト教をローマ帝国の国教と定めたんじゃ。キリスト教が国教となったので、オリンピックはオリンピア信仰の宗教儀式としての役割を維持できなくなり、終焉を迎えたらしい。
アリス
キリスト教の下でも、続けたらよかったのに。
テレス
キリスト教とギリシャの神々はそりが合わんかったんじゃ ろう。このことからも古代オリンピックが宗教行事の一部だったことがうかがえるはずじゃ。
アリス
純粋なスポーツの祭典だったら、宗旨宗派に関係なく受け入れられるはずなのに。
テレス
現在でもスポーツを取り巻く状況は同じようなもんじゃよ。近代オリンピックは国際政治に翻弄されておるからのう。
アリス
スポーツそのものは純粋で、政治とは無関係なはずなのに。
テレス
純粋だから逆に、政治権力に利用されやすいんじゃ。国家の存在を世界にアピールするには格好の場じゃよ。東欧の旧共産国を見たらよかろう。共産主義の優位性を世界に示すために国家の政策として選手を育てた。メダルを獲得した選手は国家の英雄として扱われていた。また、大きな大会を開こうとすれば、莫大な運営費がかかる。競技場や宿泊施設や交通機関を用意せにゃならん。当然、これには利権が絡むことになる。そもそもスポーツ自体は、生産性があるものとはいえんからのう。現実問題として、観客やスポンサー、自治体からの収入なしには競技会を運営できんからな。
アリス
確かに、オリンピックは延べ何億人もの人が見るんだから、外交や国威発揚にはもってこいのイベントだね。
テレス
国際的なスポーツイベントは、友好親善だけでなく、国家間の擬似戦争にも思えんか?
アリス
サッカーのワールドカップを見ていたら、そんな風に感じたよ。国の名誉をかけているからね。そもそも国家間が全面戦争していたら、スポーツの大会を開く余裕はないけどね。
テレス
一九四〇年に予定された東京オリンピックは、戦争中を理由に実現せんかった。一九八〇年のモスクワ大会では、ソビエト軍のアフガン侵攻に対する制裁措置として、西側諸国が参加をボイコットした。日本も不参加で出場予定選手たちが涙をのんだ。
アリス
選手たちが一番気の毒だね。政治の問題は選手個人の力だけではどうしようもないもんね。ところで、古代ギリシアの自然哲学者やソフィストたちは、オリンピックを見に行ったのかな?
テレス
彼らが活躍した紀元前五、六世紀頃は、古代オリンピックの第五〇回から第一〇〇回大会の頃に該当する。ひょっとしたら、歴史に名を残した哲学者のなかには、オリンピックを観戦した者がおったかもしれん。しかし、アテネからオリンピアまで約三六〇キロあるからのう。
アリス
三六〇キロといえば、広島市から鹿児島市までの直線距離に相当するね。徒歩で行くにはしんどすぎるよ。
テレス
観客も大変だろうが、出場選手たちは、自分が住んでいる  地域からオリンピアまで行き、そこで勝負をするのだからもっと大変じゃよ。
アリス
まずは、競技場に辿り着くまでが試練だね。「オリンピックで重要なことは、勝利することより、むしろ参加したということであろう」という言葉がぴったり当てはまるよ。
テレス
一九〇八年にペンシルバニアのエチェルバート・タルボット主教が語った有名な言葉じゃが、競技場まで徒歩で辿り着くことが大変だから参加することに意義があるという意味じゃないぞ。
アリス
知っているよ。勝敗がすべてではないということだよね。

テレス
まあ、テレビ観戦もいいが、この機会に何かスポーツを始めたらどうじゃい。
アリス
せっかくだけど、僕は、自分がするより、人がするのを冷ややかに観察する哲学者なのさ。
テレス
こりゃあ、だめだ。
タイトルとURLをコピーしました