数珠のお話(二)

■八月は慰霊、供養の月■
 戦後六十年、今年も事故や災害で多くの方が犠牲になられ、辛く悲しいお盆となりました。
 事故などの現場には、人知れず花が供えられ、香が手向けられ、供物が捧げられ、静かに合掌し、ご菩提を祈る人々の姿が続きます。
親戚縁者でもない人が純粋な祈りを献げられます。観音院に世界各国から供養の依頼が寄せられます。

■生老病死 悲哀をのり超えて■
 観音院では十代、二十代の若い皆さまのご参詣が増えつつあり、「水子供養」も丁重にお願いされ、よくお参りされています。
 若者がご先祖さまや祖父母さまのご供養を気にかけられ、合掌なされ、「供養の心」の継承が確かに感じられます。

■若い皆さまの真摯な供養心■
 朝晩の通勤の往き来にお参りされる方が増えました。若い男女がお仕事の休みに。法要に仲睦まじくよくお参りに来られています。

■折り鶴■
戦争犠牲者、原爆犠牲者に各地の皆さまから捧げられますが、観音院のご本尊ご宝前には、生前不遇であった故人の供養のためや、水子供養のためにも多くの千羽鶴が捧げられています。

■供養の優しさから、幸せに■
 さまざまな悲しみを乗り越えて、苦労を共にし、支えあってご結婚される若い方々、ご妊娠の報告を頂いたり、赤ちゃんの初参りにはご親族と共にご参詣になります。
 新しい世代に信心が続き、僧侶一同心からご祈念申し上げます。

■数珠の功徳(くどく)■
 観音院で得度された皆さまには修行用の正式な数珠を授けられます。数珠は「忍耐」の象徴です。
腹が立つことがあっても、堪忍し、辛抱して、じっと数珠を握りしめて、忍耐する心が、み仏への道に通じて行きます。

法主さまのお数珠
■腕輪念珠は若者から高齢者まで
 仏さまにやお守り頂きたい
 ご信心を持っておられます■
 健康ブレスレットではなくて、寺院で拝んで頂かれた腕輪念珠を左手にしておられる人が増えているようです。仏教に憧憬をもって勉学され、観音院の「僧侶養成講座」への問い合わせも多く、日本全国、海外からもお問い合わせが続いています。
 供養心をはぐくむお盆となられますように、お盆などの高速道路などの渋滞の「車の数珠つなぎ」に巻き込まれないように、中には「立ち往生」されないように早めに安全運転に徹してください。

■数珠(じゅず)の種類には■
 数珠は、菩提樹の実をはじめ、伽羅や沈香などのいろいろな香木、水晶などの貴石、珊瑚などを丸くし、小さな穴を開け、その珠を糸でつなぎ輪にしたもので、み仏さまを礼拝するときに用います。
 数珠の玉は百八個が正式なものですが、自らの百八煩悩(ぼんのう)の消滅し、怒りや不安の心を鎮めるように念じます。
 真言や仏名を念誦(ねんじゅ)することに用いるから「念珠(ねんじゅ)」ともいわれるようになったともいわれます。
 み佛さまを拝むときに、百八の数珠を一個ずつ、爪繰(つまぐ)ります。無心に数をとることができますので、精神を集中し、祈念の方に専心できるわけです。
 インド古語の原語には「つぶやく」という意味もあるそうです。
珠(たま)を一つ数えるごとに、一回み佛さまを念ずるところからいう「数珠」といわれました。
 修行のとき真言や念誦を百回、千回、一万回など回数を無心に数えるための「仏道」の道具です。
 あまり高価な数珠を用いるのは考えものです。本来、仏教や僧侶というものは慎み深いもの、質素を常とするものでだからです。

■「腕輪念珠」は左手首にしますが、携行用の数珠で、み佛さまのように心優しくありたいと願い、御守りとして身につけて、自らが悪しきことに近づかないようにご加護を願い、自分の行動や言葉を制御できるように戒めます。
 親珠から数えて、左右の七個目と二十一個目の子珠の次に四天と呼ばれる小珠があります。
 ご真言を七遍ないし、二十一遍お唱えする目印にします。この時、四天は数えません。子珠を全部繰(く)れば百八遍お唱えしたことになります。

■暮らしの中の念珠■
 念珠は、純粋に念ずる人の加持(かじ)の力を持っていて、心と身体を癒(いや)し、気のめぐりを回復する働きがあります。
 腹が立ったときは、ぐっと念珠を握りしめてみて下さい。不思議と怒りの念が鎮(しず)まり、心が落ち着いてくるのです。身体が痛むときには、痛みの箇所を念珠で摩(さす)ると楽になります。
 数珠は皆さまの日々の暮らしのお守りとして、持ち歩かれ、腕輪念珠は左手につけて、み仏さまのご加護を頂きましょう。
 自らが、厄難に近づかず、身を慎み、言動を戒める誓いの標(しるし)として、幸福への道へとお導き頂かれることでしょう。

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