子を思う親心

 五月五日は端午の節句。住宅事情や家族構成の変化により、甲冑や武者人形、鯉のぼりを飾る家は年々見かけなくなってきています。
スーパーで柏餅やちまきを買って、折り紙の兜をかぶり、菖蒲湯の入浴剤を入れたお風呂に浸かる、というのが世相のようです。

 さて、今年のゴールデンウィークは休みの取り方によっては、十日もの連休を取られる方もいらっしゃいます。
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のんびりと日頃の疲れを癒したり、家族サービスでどこかへ出かけられる方も中にはいらっしゃることでしょう。
日常、家庭を顧みずに仕事に没頭されている方には、家族同士で良好な関係を保つ上でも丁度良い時期かもしれません。

 最近、育児に関してのトラブルが巷でよく取りざたされています。子供に対する接し方がわからない親が増えてきたのと同時に、育児問題について世間が真剣に取り組み始めたことが要因に挙げられます。
 いけないとわかっていながら、つい手が出てしまう、酷いことを言ってしまう。過度の育児ストレスが、ドメスティックバイオレンスを引き起こしてしまっているようです。
 中には、端から子供を放り出して、パチンコや買い物に出かける親御さんもいるそうです。幼い子供だけが居る家で火事が発生したり、駐車場で車内で待たされているうちに熱中症になったりと、被害に遭う子供たちが増えています。

 子供を愛するということは、われわれ人間はもとより、あらゆる生命が本来持ちあわせている本能であるはずです。種を維持するためには、幼くか弱い子供たちを保護していかなければいけません。野生動物を見ていても、親は身を挺して子供を育てています。自分の享楽のために我が子を邪険にはしていません。
 高度で便利な文明社会の狭間で、大切な心を見失ってしまっている人が増えているのが現状なのかもしれません。
親が子供を守らなくて、一体誰が子供を救えるのでしょうか。傷つき迷う子供たちを癒し、いつでも迎え入れて保護する砦としての役割を担って欲しいものです。

高野山 ケーブルカー  法話の中に、子供を愛する親の話がたびたび出てきます。その中に鬼子母神(きしもじん)の説話があります。

 訶梨帝母(かりていも)とも呼ばれ、王舎城(おうしゃじょう)の夜叉神の娘で、また鬼神王の般闍迦(はんじゃか)の妻でもある鬼子母神は、町に出ては多くの幼児を母親から奪って食べていました。
 我が子を奪われた親たちの嘆きは甚だしく、その声を聞きつけた釈尊が、
その悪行を戒めるために、鬼子母神の一万人(または千人、あるいは五百人という説もある)もの子供の内、最も愛されていた末子を、隠してしまったそうです。
 我が子を失う悲しさを身をもって体験させられた鬼子母神は、自らの行いを悔い改め、仏法に帰依し、幼児の養育を助けることを釈尊に誓いました。
 その後、鬼子母神は求子・安産・育児の祈願を叶える神として民衆から崇められるようになったそうです。本来は、インドの母神であったらしいのですが、仏教に取り入れられ、守護神として祭られるようになりました。

 我が子を失う悲しみに暮れる法話は他にもあります。

 あるところに幼い子を亡くして嘆いている母親がいました。母親は、釈尊の噂を聞き、その神通力で子供を蘇生させてもらおうと考えました。
 釈尊は、その母親に向かって、町の人から芥子の実をもらってくれば子供を生き返らせることができるだろうと仰られました。ただし、その家で誰も亡くなった人のいない家族から芥子の実をもらってくること、と条件を出されました。
 母親は、それくらいならばすぐに見つけ出せるだろう、そうすれば、我が子を取り戻すことができるのだと思い、必死になって家々を回っていきました。
 しかし、どの家の人も、誰かしらが亡くなっており、条件に当てはまる家を探し出すことはできませんでした。
 肩を落として釈尊の下へ帰ってきた母親に、不幸は誰の身にも訪れるものだから、いつまでも嘆いて亡き子へ執着し続けるのをやめて、その菩提を弔い、精進して生きていくように説かれたそうです。
 五月は、観音院におきまして、幼くして亡くなられたお子さまたちのご供養のために、水子供養永代経法要を執行いたします。

 子を思う親心は尊いものです。
 仏さまは、われわれを我が子のように愛し、そして導いてくださいます。決して見捨てたりはなさいません。いつでもわれわれの側で見守ってくださっています。
 観音院にお参りして、諸仏・諸菩薩・諸善神さまの御前で手を合わされ、ご加護をいただき、全てを受け入れていただける有難い親心を観じられてみてはいかがでしょうか。
 また、お悩み等がございましたら、法主さま、住職さま、職員にご相談ください。親身にお話を伺わせていただきます。
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