十二月は区切り月

年末は何となく今年一年を考えるものですね。私は皆さんと喜怒哀楽を共にしていますので、多くの喜怒哀楽がありました。
 葬儀を執行した方々については格別に恩愛の情をもっています。
 生老病死は常のことですが、人の死は格別な意味をもちます。
 観音院には賀状を出す習慣がありません。年中喪中なんです。この一年間も毎日朝十時と正午十二時、午後二時の法要を営みました。
 今年一年も来年も再来年も同じことをしていると思います。
 世間では慌しくなり大変ですね。年末を無事に過ごし、新しい年を迎えるにはいろいろなすべきことがありますね。
 寺もありますよ、厄除けのお札やお守り等の準備とか、皆さんに差し上げる供物の準備があります。
 回顧すると、突出して、人災、自然災害の多い今年でした。これに傾向等があるのか、今年だけの異常か強い関心があります。
 政治の世界は荒れたのか、安定とみるか、意見は分かれますが、当事者の環境変化は屋台骨を揺るがすほどの大事になりました。
 艱難辛苦(かんなんしんく)は通常は、人を育てるものなのですが、結果は不明です。
 人の心の動きほど不可解なものはありません。大衆の支持は全ての組織の基盤ですが、これが継続する保障は何処にもありません。
 十二月は寺では仕上げの祈願と供養を執行します。皆さんの家庭や組織と類似しています。
 最後の踏ん張りと来年に向けての明るい展望を掲げながら年越し法要を執行致します。

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