利剣不動明王さま

「われら 今、利剣不動明王のご加護を信じ、邪まな心を断つことを願いて、唱えたてまつる。」
のうまくさまんだ ばざらだん
せんだ まかろしゃだ そわたや
うんたらた かんまん
 観音院経典まことの道百十二頁

■観音院本尊大日如来さまの向かって左側にお立ちになられている、み仏さまが、利剣(りげん)不動明王さまでございます。
 右手に降魔(ごうま)の剣をふりかざし、左手に縄(羂索=けんさく)、後ろに火炎があり、恐ろしいお姿の仏さまですが、大変、慈悲深い仏さまでございます。
 自らの邪悪な心を断ち切ってくださり、正しい道に導かれるみ仏さまとして篤い信心を集めておられます。また交通安全、航海安全、航空安全を守護されるみ仏さまとして多くのご信徒さまの崇敬(すうけい)を受けておられます。
 法主さまが霊夢の中で感得(かんとく)された稀有なご尊姿で、利剣を立てて持たれるのではなく、さらに高く振り上げておられます。
 皆さまのさまざまな悪い因縁を断ち切る御力が特に強く、多大の信心を集めておにれます。
 毎月二十七・二十八日がご縁日、交通安全と商売繁昌、悪因縁解脱と「封じ祈願」をお願いされる方が多いとうかがっております。
 私(浄寛)がご法要で住職さまのお側で助法させて頂いておりますと、住職さまのご祈祷が内陣に満ち上がってくるかのようです。護摩供の浄火、不動護摩の修法に不思議を観たといわれる信徒さまは多く、護摩の火炎は不動尊の火焔の如く、竜神の如く舞い上がる様相を顕すことがございます。

■不動明王さまは、「お不動さま」と親しまれ、日本では古の昔より、身分の上下に関係なく広く信仰されてきた仏さまであります。
「不動尊」、「無動尊」、「不動使者」、「常住金剛」とも呼ばれております。 衿羯羅(こんがら)童子、制多迦(せいたか)童子の二童子を従われております。
 真言曼荼羅の中では胎蔵界持明院に配されております。
 お不動さまは、降三世(こうさんぜ)明王、軍荼利(ぐんだり)明王、大威徳(だいいとく)明王、金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王 と五大明王、または八大明王のひとつに数えられ、明王部の主尊であられます。
 明王の「明」にはいくつかの意味があり、一つには「無明」の反対であります。無明は人間の根本的な迷いをいい、その迷いを打破するのが明であります。

 二つには真言陀羅尼という意味です。仏の真実の言葉である真言陀羅尼を保持する者を持明者といい、明王はその代表であります。
 前述の「不動使者」は大日如来さまの使者という意味ですが、単なる使者ではなく、大日如来さま自身の変身であります。故にお不動さまは悟りを開かれた仏さまですが、ご誓願により私どもを導いてくださるためにあえて明王の形でお姿を現されております。
 お不動さまは仏教の信者を守るため、わたくしたち衆生の諸々の煩悩を断ち切るために大火を燃やされております。
 しかし燃やしたあとには仏法をもって安穏をお与え下さる、厳しさの中に大慈悲がある仏さまです。

■二宮尊徳翁(1787-1856)はお不動さま、観音さまの信者として知られております。
 ある日、小田原藩の代官が翁の家を訪ねた際、床の間に不動明王の画があるのを見ました。代官は翁に、不動明王を信仰されているのですか、と訊ねました。すると翁は次のように答えました。
「若かりし頃、小田原藩主の大久保忠真侯の依頼を受けて、復興支援の為にこの地にまいりました。
 管轄する村々は、田畑が荒廃し、農民は貧しい暮らしから逃れるため、土地を離れ人口が減少していて、大変な地でしたが、一度引き受けたからには、成功不成功にかかわらず、この地に居を定めて動かない、たとえ背中に火がつくような事がおきようとも、死んでもこの地から動かない、と心に決めて復興に当ることとしました。
 私は、仏教の詳しい教へは知りませんが、お不動さまのお名前と、猛火に包まれても動じないという姿形を信じてこの画を掛けて、家族や土地のみんなに私の気持ちを示したのです。
 何とか今日まで復興のために働き、離れた農民たちも戻り、仕事を続けられてきたのも、ここを動くまいという一心があったからと思っています。その際の心を改めて確認するためにも、この不動尊の画を掛けているのです。」
「聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経」に「是の大明王は大威力あり。智慧の火を以って、諸(もろもろ)の障礙(しょうげ)を焼き。亦(また)法水を以って、諸(もろもろ)の塵垢(じんく)を漱(すす)ぐ。・・・」とあります。
 お不動さまの画から、憤怒(ふんぬ)の形相の内は大慈悲で満ち溢れているのを感じ、お不動さまと一体の境地となり、難事業の聖業にあたられたのではと思います。
 法主さまは、「不動明王さまは父の厳しさ」を、「観音菩薩さまは母の慈愛」をあらわすとお教え下さっております。父母であるみ仏さまがお近くでお守り下さっているという感謝のまことを捧げられ、観音院にお参りいただければ、慈しみの御加護が皆さまにもあると存じます。合掌九拝 浄寛

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