七五三の厄除け通過儀礼

赤く色づく山々の景色に、過ぎ行く時間の速さを感じます。今年もあとわずかとなりました。
 各地で秋の収穫を祝う祭りが盛んに催されるのもこの時期です。
 観音院でも、例年通り「お初穂祭」を行います。またご先祖さまに感謝を捧げ、丁重に「先祖供養」のご法要が執行されます。

七五三は子供さんの厄除け

 十一月十五日前後には、七五三のお祝いが行われます。ご家族の皆さまで観音院にお参りされて、お子さまの無事成長をみ仏さまにご報告して、これからも御加護を頂かれて、健康で過ごせるように、学業成就を願って、是非、ご家族でご祈願なさってください。
 さて、この「七五三」は、日本古来の両親の慈愛と祈念、親族の情愛に基づいたもので成長を祝う「通過儀礼」の一つです。
 現代の日本で、誰もが経験するであろうと思われる代表的な通過儀礼といえば、誕生、入学、就職、成人式、結婚、死を迎える臨終といったところでしょうか。
 束縛される社会的な規範も一昔前に比べれば随分少なくなってきました。「元服」したからといって名を変える必要や髪を剃る必要もありません。儀式の前後で環境と責任が一変するほどの通過儀礼は、生死以外では、おそらく結婚くらいかもしれません。

 千数百年来、日本の文化や儀礼の基盤となってきた仏教ですが、釈尊が生きておられた当時の古代インドの、通過儀礼にはどのようなものがあり、また、その儀式を終えた後には、どのような人生を送っていたのでしょうか。
 釈尊が生まれた紀元前五世紀頃、インドでは『ヴェーダ』と呼ばれる神々への讃歌を記した聖典をもとにした祭祀を行うバラモン教が主に信仰されていました。
 また、紀元前二世紀頃からは、生活の規範や法律の規定などを記した『マヌ法典』と呼ばれる聖典に基づいて、人々は生活を送っていました。通過儀礼に関してですが、人生を四つの期間に分けており、これを四住期(しじゅうき)と呼ばれます。
 第一の期間は、学生期と呼ばれ、ヴェーダ聖典をバラモン僧のもとで勉強する期間をいいます。
 第二の期間は、家住期と呼ばれ、結婚して子供を作り、家長として生活を送る期間をいいます。
 第三の期間は、林住期と呼ばれ、家督を子供に譲り、隠居して町外れの森林に住んで修行生活を送る期間をいいます。
 第四の期間は、遊行期と呼ばれ、聖地など各地を行脚(あんぎゃ)して乞食(こつじき)生活を送り、最終的には死へと旅立つ期間をいいます。
 当時の人々は、ヴェーダの無謬(むびゅう)性を疑うことなく、そこに記された生活を送ることが人々の理想とされていました。
 マヌ法典に記されている規律の中で、人々の階級区分を定めた「ヴァルナ」と呼ばれる制度があります。これは、「カースト制度」とも呼ばれ、バラモン(司祭者)を筆頭に、第二位のクシャトリヤ(王侯・武士)、第三位のヴァイシャ(農民・牧夫・商人)、第四位のシュードラ(隷属民)、また、その枠からも外れたアウトカーストと呼ばれる不可触民層を設けて社会を統制しようとしたものです。

 釈尊は、現在のネパール国付近の地方豪族の王子として生まれました。クシャトリヤの身分にある釈尊は、幼い頃から何不自由ない暮らしを送り、妃もヤショーダラを含めて三人娶り、また、息子のラーフラをもうけました。
 このように、釈尊も出家前は、当時の理想とされた生活を送り、通過儀礼を行っていたようです。
また、このカースト制度は、職業や婚姻などの面で現在でもインドに深く影響を残しています。
 さて、釈尊が国も裕福な家庭を捨て、出家される直接の原因になったのが「四門出遊(しもんしゅつゆう)」と呼ばれる出来事だといわれています。
 王城に住んでいた釈尊は、城の東西南北にある門から郊外に出かけようとしたとき、東門では老人、南門では病人、西門では死人に出会い、世の中は諸行無常で、苦しみも多く、何事も思い通りにならないものだと嘆いていたところ、最後に出た北の門で心の平静さを保つ一人の修行者、沙門(しゃもん)に出会いました。
 釈尊は、その姿を見て、自分の歩むべき道に気づき、ある晩、皆が寝静まった頃に愛馬のカンタカに乗って城下から出奔しました。
「沙門」とは、サンスクリット語ではシュラマナといい、出家して仏門に入った人のことを言いますが、ここでは、バラモン教の社会支配を認めず、覚りを求めて出家して修行をする人の事を指します。
 釈尊が生きた時代は、丁度、インドに反バラモン教の修行者が大勢現れた頃でした。その中でも、六師外道(ろくしげどう)と呼ばれる六人の思想家たちが特に有名です。その六人とは、因果応報を否定したプラーナ・カッサパ、すべての出来事は宿命付けられているとしたマッカリ・ゴーサーラ、唯物論を説いたアジタ・ケーサカンバラ、あらゆる存在の構成要素は地・水・火・風・楽・苦・霊魂からできており、それ自体は不滅であるとしたパクダ・カッチャーヤナ、懐疑論者で、後の釈迦十大弟子となるシャーリプッタ(舎利子)とマウドガリヤーヤナ(目連)二人の師でもあったサンジャヤ・ベーラッティプッタ、ジャイナ教の開祖であるニガンタ・ナータプッタのことで、彼らの思想は、同時代の釈尊にも少なからず影響を与えたことでしょう。
 かくして、釈尊は、地位も財産も家族も捨てて、真理を求める修行の旅に出かけたのでした。

 さて、世界の宗教ではさまざまな通過儀礼があります。キリスト教では洗礼、ユダヤ教などでは割礼、ヒンドゥー教では聖紐(せいちゅう)の儀式などがあります。
その他にも、民族的な信仰を含めると、実にさまざまです。
 仏教にも得度受戒、帰依式などあり、信心を深めますが、真言宗の僧侶としての儀式にはどのようなものがあるのでしょうか。
 僧侶になるためには、師僧を求め、まず得度を受けます。
 得度とは、「度を得る」、つまり、「彼岸に渡ること」、涅槃に入ることを求めることを意味し、出家して俗世への未練を断ち切り仏道に精進することを意味します。
 次に、受戒(じゅかい)です。観音院では仏教徒として解り易い「十善戒」を法主さまがご説明してくださっておられます。
 戒とは、修行者が守るべき規範のことです。戒には、沙弥(しゃみ)戒、比丘(びく)戒、菩薩戒などがあります。戒を受けた時点で僧侶としての出発点に立ちます。
また、ここから四度加行や伝法灌頂などを経て、真言密教の僧侶になりますが、仏教の修行とは生涯、日常の生活において、み仏さまの教えを守ろうと努力し、他の人々に慈しみの心で接したいと願い、実践を続けることです。
 観音院では、得度、受戒式を随時、受け付けております。仏道に親しまれたい方、正式に仏縁を結ばれたい方、修行をしてみられたい方は、ご相談の上、お申し込みください。

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