お陰様で通巻400号を迎える事ができました

20131003

【寅さん】 倉庫を掃除していたら、ガリ版を切るヤスリ版や硬筆がたくさん出てきたよ。ヤスリ版が錆びていたので、全部廃棄処分にしたよ。昔にこのヤスリの上で油紙を乗せて、その上で硬筆でガリガリと原稿を書いておられたのが目に浮かび、捨てるのが何だかとても切なかった。

【院家さん】 よく考えると、真に惜しいことをしたな。でも、あれを使い続けるには、ヤスリの目立てほをしなくてはならないし、今さらガリ版印刷でもないわな。

あの当時の、ガリ版刷りのインクをのせる方法は、天井からゴムでロールを吊って、そして、台に紙を置いて一枚刷ると、左手で紙を避けて、右手でロールを下ろして刷っていた。

【寅さん】 あの当時は、冷暖房はなかったし、平版インクを使っておられたので、そのインクを油で薄めて刷っておられたが、冬は寒さで指のヒビが切れ、夏は首にタオルを巻いて作業されていて、私も何度か手伝ってあげようとしたけど、私のスピードでは、院家さんの半分も刷れない。
上手くいっても生傷が絶えない。まるで鬼気迫るようなものがあったね。

【院家さん】 ガリ版で、一時間に千二百枚位印刷するのは、肉体労働だったな。

【寅さん】 卓上のオフセット印刷機と円筒状のビニール原紙を切る機械が入って来て、初めて動いた時は、「ガリガリ」という音もせず、円筒に原稿用紙をかけておけば、左側に巻き付けたビニール原紙が五分位で仕上がるので、とてもうれしかった。オフセット印刷機が一台では足りないので、二台据えられて、それから、原稿を作るのに、和文タイプライターを二台買われたな。

当時観音院に来ておった人が、広報誌でタイプを打つ仕事をされていた人で、院家さんも随分楽になったよね。

清打ちは、間違うと白で消して、その上にまた打つ。という方法で、ボランティアの人が禁則処理がなかなか理解出来なくて、「」やお終いの句読点をぶら下げて、行頭に置かないなど、新聞社の活字拾いのように苦労されたわな。

奉仕の人々も一銭もお金にならないのに、仕事に没頭して良く奉仕されたと思うよ。

【院家さん】 それからしばらくして、写真植字機二台、ハマダスターの大きなオフセット印刷機を設置。原稿を打つ写真植字機を操作する方法は、とても専門的であれが打てるようになった人は、手に職が就いたな。製版は難しかったよ。

PS版という薄いアルミの感光資材にエナメルをのせて、光を当てて、不要な所を洗い出し、印刷原版が出来るわけだ。

写真を印刷する時には、絵の位置によって、モアレが生じて苦労していたな。

■PS版をオフセットに掛けてインクをならして、給紙は自動になった。

【寅さん】 この時代に、写真植字機の割り付け自動ソフトを開発されて、そのソフトは、シャープやら、多くの写真植字屋さんに買ってもらう事が出来て、たくさんのお金が入りました。

同時に植字されたフィルムを加工するために、縁金を付けた定規を考えられて、あれは、定規を傷めずに紙が切れるので、びっくりするほど売れたな。なんぼくらい儲かったの?

院家 私儲けてないよ。ちょうど、観音院の工事をする最中で、大きな基金になった。寺が建ってから、そのお供えは断りました。写真植字機の会社のお供えも同じときに断ったよ。総額にしたら一億円超えだろうな。帳簿を見んとわからん。

写真植字機の割り付け計算機を、メーカーの人と一緒に説明しながら日本中を歩いたな。それまで朝から晩まで印刷機を回していたので、割り付け計算機を売るために、ホテル暮らしが続いてちょっと生活が変わったな。

だんだん忙しくなって、ハマダスターは喜勝印刷さんに差し上げた。つまりは、印刷は全部外注になって寺の中は静かになった。

その他変わった所といえば、ホンダのバイクがクラウンになったよ。

観音院の印刷物だけでなく、他のお寺さんの印刷物もやってあげられる程度時間的に余裕も出来た。

布教紙「朝の言葉」は、日刊で出していたのだから、今から考えると狂気の沙汰だ。

それから月刊誌にして、第三種郵便物「月刊 観自在」に改めた。信徒さんも、十万人くらいなり、職員が最初は、ボランティアだったけど、ハローワークから採用するようになって、厚生年金制度も取り入れた。

この時代に厚生年金制度のあるお寺は少なかった。そのお陰で、私は月額にして手取り十八万円の年金をもらっている。

檀家回りをして、一口三百円から千円くらいのお布施をもらっていた頃を思うと夢のような話だ。
社保完備ということは、経済的にきつかったね。

その当時に「一緒にやろう」と勧めてあげたお坊さんが、やらずに現在になって「しまった」と悔やまれる人も多い。

今から先の年金の行方はわからないが、国民年金の未納がある人は、掛けておかれると少しは楽だろうに。色々な掛け金は、掛ける時はしんどいけど、貰う時は有り難いものだ。

現在の信徒さんは、約二十五万人に達し、これだけの支持を得ようと思うと、いたわり、慈しみ、思いやり、相手の立場で考えないとここまで来ない。

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全てに愛を 光と祈りを 親から子に 子から孫に 読み伝えられる

毎月1日発行 月刊「観自在(かんじざい)」

発行所 観自在社

送料共 1000円/一年分

いたわり 慈しみ 思い遣り 相手の立場で考える  広島のお寺 観音院(かんのんいん)

広島県広島市の真言宗 観音院 公式ウェブサイト
広島県広島市にあります真言宗の観音院は今から四百年余年の昔、慶長六年(西暦1601年)辛丑(かのとうし)七月十日に、増香上人(ぞうこうしょうにん)といわれるとても偉いお坊さまが開いた由緒あるお寺です。 そして、この地の庄屋であった田頭新蔵により聖観音さまをお祀りする観音堂を寄進されて以来、この辺りを観音村と呼ぶようにな...

〒733-0032 広島県広島市西区東観音町10-2

TEL 082-233-5000

厄 年厄除・家内安全・商売繁昌・身体健康・学業成就・安産守護  入学試験合格祈願・家族祈願・交通安全・無事成長・その他悩み事  困り事の相談は駆け込み寺の観音院。  毎日 午前10時・正午12時・午後2時から三座の法要を執行し、皆さまの  御祈願を拝ませて頂きます。

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広島ブログ

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