お釈迦さまの八相成道

 仏教といえば、仏さま、日常で「仏さまのようなお人柄」と言れる
と慈悲心の厚い人を表わすめ言葉に使われます。
 日本では、ご先祖さまや亡者、霊などをも仏さまと言うことも  
多く、人が亡くなった時などには、人を「仏」といい、「仏さまに
お参りさせて下さい」と言うことらあります。

 日本人は古来、万物に霊魂、神秘畏敬を感じ、先祖を大切にお守  
りし自然の中で生きてきました。仏教が伝来し神仏習合してからは  
さらに仏道の精進の行が、各々の仕事で「道」を極めるような求道  
(ぐどう)的な生活態度や、勤勉で創造的な民性をつちかって  
きたようです。

 仏教の開祖はお釈迦さま、覚者あり、完成された理想的な人格、 
仏陀(ぶっだ)と尊称され、成仏(じょうぶ)とは釈尊の如く、 
この世で完成された人格を目指し努力すること、慈悲を行い生涯  
精進(しょうじん)することです。

 お盆の月に釈尊の成道をしのび、今月の仏教談義を始めます。

釈尊の八相成道(じょうどう)

 釈尊は無量劫(むりょうこう・はかりしれぬほどの長い時間)の
以前より正覚(しょうがく)を成就(じょうじゅ)され、十方世界
において多くの衆生を利益(りやく)しておられます。  

 釈尊の大悲の願力(がんりき)とその功力(くりき)は十方世界 
はもとより 南閻浮提(なんえんぶだい・われわれの現実世界)にま 
でおよんで、釈尊はしばしば出現されております。  

 お釈迦さまは王子として生まれ、社会的物質的にも恵まれた一青年 
が、老・病・死という私たち人間の現実の有り様に深く悩み、道を  
求めて出家成道なされ、私たちはそのことに思いめぐらす、生涯の  
試練苦難にお導きを頂きます。  

 その釈尊が一生のうちに、八つの段階を経て、かくかくしかじか  
で私たちの世界へ出現されることになったいきさつを、八つの重大  
事相、釈尊の八相成道(はっそうじょうどう)といいます。即ち、  

 降兜率(ごう とそつ)の相
 託胎(たくたい)の相、
 降生(こうしょう)の相、
 出家の相、
 降魔(ごうま)の相、
 成道(じょうどう)の相、
 説法(せっぽう)の相、
 涅槃(ねはん)の相

の八相といわれるものです。 
〔一説に、住胎、嬰孩(えいがい・あかご)、愛欲、楽苦行、降魔、 
 成道、転法輪、入滅ともいう〕 では、この八相とは一体どんな 
ものなのか、ざっとみていくことにしましょう。

一、降兜率の相
 これは、兜率天(とそつてん・欲界六天のうちの第四天で欲界の 
浄土とされ、弥勒菩薩が住するところ)から釈尊の下生(げしょう) 
を意味して、下天の相ともいわれ また兜率天は「この欲界の境に  
おいて足ることを知る」ということなので知足(ちそく)と翻訳され 
ることがあります。
「因果経」に、功徳行願を満たして位十地、さらに等覚位に在って 
兜率天に生まれて諸天の主となった聖善菩薩は、十方世界に種々の 
身を現じて、一切衆生(生きとし生けるもの)のために説法された。 
そして作仏の時、まさに到らんとして、五つのことを 観念された。 
その一は、もろもろの衆生の機根(きこん)が どれくらい熟してい  
るかを観じ、その二は、下天(げてん)の最良の時を 推(お)しはか 
り、その三にもろもろの国土のうち、いずれの国が 最適の地である 
かを観じ、その四に、その国の いかなる種族が善良であるかを観じ、 
その五に、過去の因縁(いんねん)等を閲(けみ)して、誰が父母と  
して最もふさわしいかを観じ、而(しか)して下生のことを決定さ  
れた、とあります。 

 この聖善菩薩の「五観」は、これくらい周到に準備しておかないと、 
たとえ、菩薩が下生し、この世に出現されたとしても、ひろく衆生  
を済度することができないからではないでしょうか。 

 そのとき聖善菩薩は、最初に大光明を放ってあまねく三千大千世 
界(さんぜんだいせんせかい)をお照らしになると諸天が鳴動し、 
大地もそれに呼応し 須弥山(しゅみせん)も大海もことごとく震動 
しました。
 おどろいた諸天衆が菩薩のもとへ馳せつけて、これはいったいど 
うしたことか、とたずねますと、聖善菩薩が次のようにお答えにな 
りました。
「諸天のみなさん、よくお聞きください。いわゆる 諸行は 無常  
(常では無い)です。
 五趣(ごしゅ・地獄、餓鬼、畜生、人、天)のうち、天界にある 
あなた方は、有情(うじょう)としては最上の存在であることにち 
がいありませんが、仏教では、その天衆といえども輪廻転生(りん 
ねてんしょう)の一環から 免れることはできません。 

 長寿をたのしむことができたとしても、その寿命が尽きれば、  
死んでまた苦しみの世界を行きつ戻りつする運命にあるわけです。 
だからこそ、これからもぜひ解脱(げだつ)を心掛けて努力を惜し 
まないようにねがいます。
 わたしはこれよりこの天界から閻浮提へ下生し、出家して仏道を 
行じ、正しい法を説いて 悪趣の門を閉じ、浄く八正の道を開いても 
ろもろの者を利益(りやく)しようと思います」

 これを聞いて諸天衆は、涙を流して名残を惜しみ、深くその無常 
を嘆き悲しんだということです。

〔八正・はっしょう。八聖道ともいい、八種の正しい賢聖たちのふ 
みおこなうべき修行徳目という意味で、初期佛教以来の、仏教にお 
けるもっとも基本的な生活や仏道修行のあり方をいう〕

 八つの徳目とは、正しい見解(正見)、正しい思考(正思)、 
正しい言葉づかい(正語)、正しいおこない(正業)、正しい生活 
(正命)、正しい努力(正精進)、正しい注意憶念(正念)、正しい 
禅定(ぜんじょう・正定)。

二、託胎(たくたい)の相
 釈迦如来はその昔、五十一位等覚の菩薩として兜率天にお住まい 
になりましたが、やがて南閻浮提に下生され、菩提樹下に坐して、 
妙覚果満の仏身を成就されました。 
 なお、釈尊がまだ兜率天に在ったときのお名前が、さきの「因果 
経」では聖善菩薩でしたが、「仏本行経」では、これが護明菩薩と 
なっています。 
 その釈尊の前身である護明菩薩は下生にあたって、次のようなこ 
とを規定し条件とされました。 
 まず最初に、仏のご誓願は五濁の悪世に出現するとありますので 
釈尊はみずからの出世のタイミングをはかり、この機をおいてほか 
にないという時に下天されました。 
 そして下生の地としては清浄の気にみちみちた天竺国をえらび、 
種族として天竺国の王族をお選びになりました。そして最後に、そ 
の王族のうちのどなたを生母とするかを考えにかんがえて、浄飯王 
の后である摩耶夫人の胎内に入ることにし、兜率天から白象に乗っ 
て降天されて、摩耶夫人の右脇にお入りになった、ということです。 

〔五濁(ごじょく・この世に起こる五つの汚れのこと)〕 
 劫濁(時の汚れ)、煩悩濁(欲と悩みの汚れ)、衆生濁(悪人の 
汚れ)、見濁(種々の悪見)、命濁(人の寿命がしだいに縮まる) 

三、降誕の相
 その母となる浄飯王の后(きさき)摩耶夫人が、四月八日の朝、 
大勢の童女を伴って、藍毘尼園でそぞろ歩きをたのしみ、無憂樹の 
美しい花の一枝を右の手でまさに摘もうとしたその時でした。 
 胎中にあった護明菩薩が、人間のすがたに現じて夫人の右脇より 
徐々に出胎された、とあります。 

「菩薩処胎経」にそのさいの模様が次のように記述してあります。 
 —- 釈尊が 弥勒菩薩にいわれました。 
 「言い伝えられてきたごとく、弥勒よ、あなたは こののち五十六 
億七千万年を経て、この菩提樹下において 無上正覚を成ぜられるで 
あろう。
 わたしは右脇より生まれたけれども、あなたは頂上(物のいちば 
ん上部)から生まれてきて、わたしの寿命は百歳(釈尊はそれを二 
十年短縮して末世の者たちにお恵みになったので、七十九歳で入滅 
された)であるが、弥勒菩薩の寿命は八万四千歳(釈尊出世の頃は 
人間の寿命は百歳そこそこであったが、弥勒菩薩が出世成道の頃の 
世界の寿命は八万四千歳となる)である。そして、わたしの国土は 
衆生の苦しみが充満しているけれども、あなたの生まれる世界は  
平安そのものである」と。
 こうして、この世に誕生された釈尊は、蓮のうてなの上で、難陀 
龍王、優婆難陀龍王が、虚空から一温一涼の清浄水をそのお身体に 
そそぎかけるなか、ただちに四方を七歩ばかり歩まれ、「天上天下 
唯我独尊」とお唱えになりました。 
 それにつれて天龍八部が中天より妙なる音楽を奏で、大空一面に 
天花を降らしました。 

四、出家の相
 釈尊十九歳、まだ悉多太子(しったたいし)であった頃、世間の 
見聞をひろめて、老病死の苦相を観じ、沙門の姿に接して 出家学道 
の志を発して、父王に出家を申し出られましたが、お許しがありま 
せんでした。
 そこである夜半、ひそかに城門を抜けだして、林中において苦行 
する跋迦仙人の許(もと)をおたずねになりました。これが すなわち 
出家の相です。

五、降魔の相
 降魔(ごうま)とは悪魔を降伏(ごうぶく)させることです。魔は 
梵語では 魔羅、漢語に翻訳すると能奪命というそうです。 

 この魔は四種に分類され、生死魔、煩悩魔、五蘊魔の三種を内魔 
といい、のこる一つの天魔を外魔(げま)といいます。仏の降魔は 
むろんこれら四魔の覆滅にありますが、諸経論においては、降魔は 
主として天魔の降伏に重点をおいているようです。

〔五蘊・ごうん。この現象世界、とくに、有情の身体と心を五つの 
要素に分類したもので、色受想行識蘊からなる。色は有情の肉体を、 
受は感覚や感情を、想はそれらを知覚する働きを、行は一切の心の 
働きを、識は視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚など、感覚器官より生 
ずる認識のこと〕

 以下は釈尊成道以前の話です。 
—-第六天の魔王が思いました。もしも釈迦に成道されては、我が 
所領が狭くなる。なんとかしてその事態を回避しなければと、群臣 
を招集して軍議を開きました。席上、たくさんの発言が相次ぐなか 
つぎのような提案がありました。 
 幻術に長じた欲妃、悦妃、快観、見従という四人の女がおります。 
 おまけに四人ともたぐい稀なる美女ぞろいですので、その者たち 
を活用することにしては いかがでしょうか。 
 魔王はさっそく四人の女を派遣して、悉多太子の浄行(じょうぎ 
ょう)を乱すことにしました。
 魔女どもは腕によりをかけて念入りに化粧をほどこし、色っぽい 
薄絹を身にまとうと、修行中の太子を取り囲んで、「なにとぞ私ど 
もを召使としてお側においてくださいませ」と、しなだれかからん 
ばかりの風情で頼みました。が、太子はすでに、この女たちが魔女 
であることをご存じでしたので、いとも慇懃に諭(さと)して申さ 
れました。 
「汝らは かつて福業を植え、ゆくりなくも天女としての身を授かっ 
たのに、いまは その美しい容姿とはうらはらに、心根は邪悪そのも 
のである。そんな汝たちがどうしてわたしに仕えることができよう、 
すみやかに天に還りなさい」 

 悉多太子に一蹴され、太子の神通力によって 醜い老女と化した 
彼女らが すごすご天へ引き返しますと、魔王は大いに怒りました。 
 ただちに六天八部の軍隊に号令をかけ、八十億の魔兵を動員して 
太子のところへ進軍せしめ、熱鉄丸と弓箭(きゅうせん)を雨あら 
れと放ちましたが、それらはすべて空中にとどまって蓮華となり、 
いっかな悉多太子を攻略すること あたわず、とうとう魔軍の総退却 
ということになりました。これを降魔の相といいます。

六、成道の相
 太子はなんなく魔軍をやっつけ、かつ、内魔をもことごとく覆滅し 
尽くしてのち、禅定に入り、その翌早朝、東天に明星のいずる頃、 
菩提樹下に坐して豁然(かつぜん)大悟し、にわかに無上道、最正覚 
を成就されました。 
 釈尊このとき三十歳。出家されたのが十九歳ですので、一般的に 
これを「十九出家三十成道」という成句によって伝えられています。 

七、説法の相
 かくして成道ののち、釈尊は思惟(しゆい・考えおもう)なさい 
ました。
—- わたくしが悟りえたこの法を、はたしてどの程度、人々の理解 
するところとなるであろうか。この法が人々の理外のものであるなら 
ば、あえて法を説くことなく、このままむしろ涅槃(ねはん)に入る 
べきか —- とつおいつご思案になっているとき、たくさんの人々が  
釈尊のもとへ やってきて 説法をお願いしましたので、鹿野園(ろ  
くやおん)において 四諦の法輪をお説きになりました。 

 それ以後 四十九年間、釈尊は、横説縦説頓漸半満五時八教の法門 
を開かれました。 

〔四諦・したい。苦(現在の苦悩)集(肉体や財産への執着)滅(苦 
をなくした安楽の境地) 道(道を思って修行する)の、迷いと悟り 
の因果を 説明する 四つの真理〕 

八、涅槃の相

 涅槃(ねはん)とは「滅度」のことです。滅とは一切の煩悩の滅し 
たこと、そして「度」とは「生死(しょうじ)の此岸(しがん)より 
煩悩の氾濫する中流を渡りきり、涅槃の彼岸に到るという意味です。 
 釈尊といえども 成道する以前、渡らねばならない煩悩の障壁が、 
まったく無かったわけではないでしょうが、それらを 打ち砕く鉄の 
意志と深遠な思惟でもって 成道を果たした末、一期の仏寿を終えら 
れ 無余涅槃(むよねはん・煩悩の残余のない涅槃)の世界に住せら 
れることになりました。 
 釈尊の入涅槃は仏寿七十九歳、天竺波羅奈国の拘尸奈城(くしな 
じょう)の近く、跋提河(ばつだいが)のほとりにある沙羅双樹の 
林間で、八十億の大衆(だいしゅ)に前後を取り巻かれ、涅槃経と 
遺教経を説きおわり、寂然(じゃくぜん)として、眠るがごとく  
お隠れになりました。

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