ソクラテス(4)人生の目的

アリス
最近よく考えるんだよね。
テレス
何についてじゃ。
アリス
生きるっていったいどういうことなのか、とか。自分は何のために生きているのか、とかね。考えれば考えるほどわからなくなるんだよ。ソクラテスも人生について語っているよね。
テレス
そうじゃ。君も一人前に哲学しとるんじゃのう。
アリス
別に哲学というほど深いものじゃないと思うけれど。
テレス
人生に目的をもたなくても生きていくのには特に支障はないと思うが、生きる目的が気になりだしたら生きていくのに支障がでることは多々あるはずじゃ。
アリス
僕の問題は決して哲学的なんかじゃないはずだよ。だだ、悩んでいるだけなんだ。でもね、結構深刻なんだよ。
テレス
そうか。人生に対する哲学的な問いは、生きることの根本を直視することを強いるので危険で残酷でもあるんじゃよ。君も自転車に乗ると思うが、深く考えなくても自転車を運転することができるのう。ところが、なぜ倒れないで走ることができるのか。どうしてカーブで転倒しないで曲がれるのかを深く考え始めると自転車を安全に運転する余裕がなくなるじゃろうが。人生の目的を深く考えることは、それと似たようなもんじゃから、あまり深入りしてもらいたくはないんじゃよ。あるマラソン選手は「なぜ、自分は走るのか。」を突き詰めて考えはじめたら走ることができなくなった。実際に大半の人は「山があるから山に登る」的な行動原理に従って生きている。そして、あえて目的については触れようとしないし、触れられたくないと思っている。気にならなければ無視すればいいが、気になってしかたがなければとことん突き詰めて考えることも決して無駄ではない。考え抜いた結果、まったくわからなければ、それは結論として十分に通用する。有名な哲学者もお釈迦様もわからないことは、わからないと明言しているからな。「無知の知」で話したように、わからないことはわからないとして認識しておくほうが賢明なんじやよ。適当なところでごまかしたり、妥協したのでは哲学したとはいえん。頭が痺れるぐらい考え抜いたなら、それは十分哲学になっておる。中途半端なところで考えることをやめにして虚無主義や懐疑主義に陥らないことをわしは望むがのう。もし、何かが掴めたら儲けもんじゃよ。
アリス
そうなんだよね。悩んでいるはずなのに、適当なところでごまかしたくなるんだな。でもね僕の疑問は素朴なものなのに結論が出ないんだよ。
テレス
「素朴」イコール「簡単」とは限らない。素朴な問いは以外にも答えるのが難しいんじゃよ。素朴な質問はものごとの本質を問う場合が多いからな。哲学や倫理学の問題のほとんどは素朴な疑問から出発しておる。次の例を考えるとわかり易いじゃろう。最近、マスコミなどで取り上げられている「なぜ、人を殺してはいけないか」とか「なぜ、勉強しなければならないのか」という子供から大人への問いがある。これに対する答えはほとんどの人にとっては常識的かつ自明であり、あらためて答える必要はない。あえて誰かに質問するなら、その人は変人扱いされるはずじゃ。常識的、宗教的には問う必要が無いと一蹴されるはずじゃよ。しかし、実際に論理的に説明することは難しい。哲学的な立場では、単に常識だからというのは十分な答えにはならないということじゃよ。その場合、常識の正当性、妥当性を検証する必要が生じてくるからのう。
アリス
そういえばそうだな。常識は正しいものとして無意識的に受け入れているよね。
テレス
重要なことだが、合理的に説明できないからといって、人を殺すことや勉強しないでいいということが無条件で正当化されるわけではない。この点を誤解しないでほしい。
アリス
もちろん、わかってるよ。
テレス
素朴な疑問でさえ、いざ論理的に説明するとなると極めて難しい。いや、素朴な質問だからこそ逆に難しいのじゃろう。まあこの例については暇なときにでも考えてみるといい。
アリス
じっくり考えてみる価値はあるね。
テレス
カントやヘーゲルの壮大な思想体系でも根本的な問題は素朴なものじゃ。彼らが偉大なのは、素朴な疑問を解決するために、深遠で緻密な思想体系を構築してきたからじゃよ。哲学的な問いに関していえば、素朴で簡単そうな質問ほど万人を十分に納得させる答えがでてこないんじゃよ。
アリス
じゃあ、素朴で、子供がするような疑問を持つことは間違っていないんだね。
テレス
子供じみているとか、大人の考え方だという考え方は捨てたほうがいい。むしろ子供の視点からの発想の方がものごとの核心を突いているものが多い。もちろん大人の考え方も重要じゃ。処世には不可欠じゃからのう。大人の考え方や視点というのは、よく言えば、常識や良識に基づいたものかもしれん。しかし、それらのみに囚われた考え方は問題じゃ。常識や良識の枠内だけでおこなわれる思考では新しいことは見えてこない。固定観念を取り払うことが必要じゃ。ある特定のものの見方に執着すれば問題を解決から遠ざけるだけじゃよ。今までのものの見方を捨て去るという意味ではない。自分を支配している考え方から離れ、今までとは異なった視点から眺めてみるということじゃ。特に真理の探究ということに関していえることは、自明のこととみなされていることをあえて考え直してみる必要があるんじゃ。
アリス
離れた視点からものごと眺めるとはどういうことなの。
テレス
自転している地球を地球の外から眺めている自分をイメージするとよかろう。自分の周りが回っているという見方だけでなく自分が回っているという見方を持つということじゃよ。そうすることによって、新たな考え方が浮かんでくるはずじゃよ・・・
アリス
なるほど。
テレス
一つの考え方に固執するのではなく、相対的に客観的にものごとを理解しようとする姿勢が大切じゃ。このことは哲学や科学に当てはまるだけではない。もちろん、日常的な問題の解決にも適応できる。同じ考え方を活用することもできる。ただ、世の中を上手く渡っていくことや富や名誉を手に入れることと真理を探究することはほとんど関係ない。真理を悟ったからといって金持ちになることが保証されているわけではないし、真理が何であるかを知らなくても明日の売上に大きく影響を与えるわけでもないからな。
アリス
ところでソクラテスの話の結論はどうなったの。
テレス
そうじゃたのう。忘れておった。
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