月と仏道

旧暦の八月十五日は中秋の名月。今年は九月十八日にあたります。
十五夜は、三五(さんご)の月とも呼ばれます。これは、掛け算の三×五=十五というところからきています。
 月の満ち欠けは、世界各地で太古より暦として用いられてきました。太陽ではなく、月を基準にした際に生じる季節と暦との差をなくすために閏年を設けたり、中国では秋分や春分などの二十四節気をつくり調節していました。
 日本でも、この太陰太陽暦は、明治政府が変更するまで使用されていました。
 農業や水産業に携わる人には月の運行は大切な判断材料になりますが、われわれの多くが、特に月の存在を意識する時期は、やはりこの秋の望月(もちづき)の頃ではないでしょうか。
 私も、幼少の頃、幼稚園の行事で団子とススキを飾り、夜の満月を待つ、わくわくとした感情を憶えています。

 万葉集に、次のような詩があります。
世の中は空しきものとあらむとぞ
この照る月は満ち欠けしける
      (よみ人知らず)
 このように、昔から月を題材とした和歌も数多く作られており、「もののあわれ」など、趣きや情緒を尊ぶ日本人にとって、文化面、風俗面で見ても、「月」は暮らしの中に深く溶け込み、われわれと共に歩んできた歴史があるといえます。
 日本で最初に創られたかなの物語で、平安文学を代表する作品に『竹取物語』があります。竹から生まれたかぐや姫は、やがて美しく成長して、貴族の子息たちに求婚されるが、その申し出を断り、八月十五日の夜に月の祖国へ帰っていく、という話は広く知られています。この物語の作者は不詳ですが、仏教に精通した者であるとされていて、一説には、弘法大師空海が創ったものであるともいわれています。
 その他、月が関係している仏教の説話の中には、『ジャータカ物語(古代インドの仏教説話のひとつ、本生譚・ほんじょうたん)』という釈尊の、前世における修行時代の説話集の中には、月の中のウサギについて、次のような有名な話があります。
 とある森の中に、ウサギと猿とジャッカルとカワウソが住んでいました。ある日、ウサギは仲間たちを集めて、日頃の行いを正すための布薩(ふさつ)や布施などの修行の重要性を説いていました。
 そこへ、動物たちの修行に対する熱意を確かめるため、修行僧に扮した帝釈天(たいしゃくてん)がやってきました。
 修行僧は、ウサギたちに食べ物の施しを乞いました。
 ウサギ以外の動物たちは、それぞれ、自分が日頃から食している木の実や肉、魚などを持ってきて、修行僧に勧めました。
 しかし、普段から草ばかり食べているウサギは、修行僧にふさわしい食べ物を提供することはできないと考えました。そこで、修行僧に火を起こしてもらい、自分の肉を与えようと火に飛び込んでしまいました。
 ウサギの心を見抜いていた帝釈天は、特殊な能力を使って火に細工をしていたので、ウサギの毛は一本も焼けることはありませんでした。そして、ウサギの施しの心を讃え、月にウサギの絵を描いたそうです。月の模様は、日本では、ウサギが餅つきをしている姿として見られるのが一般的ですが、諸外国では、女性の横顔やカニ、ライオンなどに見られるところもあるそうです。
 さて、ウサギたちが行っていた布薩(ふさつ)についてですが、これはもともとバラモン教の儀式が仏教に取り入れられたもので、満月と新月の日(毎月十五日と三十日)に、在家信者の優婆塞(うばそく)や優婆夷(うばい)たちが寺院に集まり、一昼夜の間、僧たちの説法を聞き、八斎戒(はっさいかい:不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒の「五戒」に、装身具をつけないこと、高くて広いベッドに寝ないこと、昼を過ぎて食事をしないことを加えた八つの戒律)を確認しあったり、罪過(ざいか)を懺悔(さんげ)したりする儀式を行った行事です。

 密教の修法などでは、月の満ち欠けは非常に重要な意味を持ってきます。修法を始める開白(かいびゃく)の日も、満月の日を選んで行われます。それは、新月から満月に推移する一日から十五日までの間、月が徐々に満ちるのと同様に、欠けることのない力を持った望月の日に儀式を始めることで霊験を得ようとしたという説があります。
 また、「阿字観法」という瞑想(めいそう)法の中で、満月を心に描く「月輪(がちりん)観」というものがあります。
 月輪は、修行者の菩提心の象徴であり、心の中の月をまん丸に、そして曇り一つなくすることで、自分の心は元来、清浄なものであるとイメージしていきます。
 また、月の光は、煩悩の闇に迷うわれわれを照らして救い出す仏の慈悲の心であるとたとえられる事があります。
 その他にも、占星術に使われたりと、密教にとっても月は欠かせない存在なのです。
 また、九月は、秋分の日を中日として、秋のお彼岸があります。
 お彼岸といえば、曼珠沙華が咲き始め、赤トンボが稲穂の実る田んぼを飛びまわる頃ですね。
 彼岸とは、本来の意味ではあちらの岸へ渡る、つまり、現世の輪廻(りんね)から解脱(げだつ)して、覚り、涅槃(ねはん)の境地へ到達することを意味していますが、一般的には、亡くなった皆さまのご先祖様たちがいらっしゃる場所(あの世、お浄土)として認識されている方も多くいらっしゃいます。
 儒教の思想が影響しているともいわれますが、わたくしたち日本人は、祖霊、先祖を代々、大切に供養してきた民族です。
 彼岸法会(ほうえ)に会われてご法話を聴かれて、お墓や仏壇を清めて、花やおはぎなどをお供えして、ご先祖様に近況報告をされてみてはいかがでしょうか。
 観音院では、九月十三日から二十六日まで、秋彼岸法要を執行いたしております。是非、お寺にお参りになり、ご先祖様のご供養をなさってください。